の日に逢つて一度に伸び出したやうに今迄に知らない世界を憧れ出し、それに向つて伸び出した。そしてたまらなくなつて聲を擧げた。これこそ誕生の聲である。産聲である。唖の子がものを言ひ出すお伽話にあるやうな奇蹟的出來事は斯して自分の一生の半途に起つた。
實に奇蹟である。生の不思議である。計り知れない吾が力は俄に目を醒まして、見慣れぬ地、見慣れぬ空、見慣れぬ人間に心が驚異した。そして今迄縮み跼《かが》んでゐた力が一齊に地下上天、周圍に對して目ざましい程ずんずん伸び出した。自分は新しく生きる。新しく育つ。今迄のあらゆる過去を肥料にして新しい生の芽生えにいみじい愛を感ずる。自分は感謝した。自分の微妙な力を感謝した。その感謝の心は『日の子』を書いて自分を彼れの愛《いと》し子、隱し子であると言つた時吾が心は言ひ知れぬ歡びに溢れてしまつた。ああ自分は何にものよりも光を愛す。光明の世界こそ吾が行く世界である。自分は涙流しながらもそれを追うて止まないだらう。永遠に追うて止まないだらう。
それからの自分は大洋の浪のやうに底を潜り、水面に浮び、底を潜り水面に浮びして遙かな岸を目掛けて進んだ。『發生』は自分にとつて稀有な吾が心の發火であつたけれども、これが吾が心の全面に動いたものでない事は、その時それとはまるで違つた『冬の日暮』や『遠い故郷』などといふ作が吾れ知らず混じて出たのでも解る。その『發生』の迸發的な歡びは『すべての友達に送る手紙』を最初のものとして一切の因襲關係、一切の古い自己を燒亡ぼす情熱となつて、今迄の自分や今迄の周圍關係を攻撃、破壞、顛覆する役目に當つた。
斯して鬪ひの上に更に鬪ひ、鬪ひの上に更に鬪ひをして、吾が心は倦《あぐ》ね果てるまで健鬪した。『太陽崇拜[#「太陽崇拜」は太字]』の諸篇『自分のものとする女に送る歌』『あらし』『日本の文學者に與ふる歌』『男性の歌』『航海の歌』等はその中から出た自分の愛生の叫びである。特に自分は『航海の歌』の或る部分を最も好く。そして自分は幾度か自分で叫んだ聲で自分を勵まされてその新生《ニウ・バアアス》の年(大正二年)を送つた。自分は太陽の子である。如何なる奈落の底へ落ちてもあの燃え上る空中の偉大崇嚴な火の圓球を憧れてやまない。自分は彼れから遠ざかれば遠ざかる程其愛着の深さを感ずる。此詩集の最後の篇『太陽崇拜[#「太陽崇拜」は太字]』を書い
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