如き聖人になりたいのである
山ほどある勞働をものともせずやつて行く聖人に

ああ自分はどぢである
世界最大のどぢである
斯くの如きどぢが今斯くの如きのぞみに向つて行きつつあるのである
ああ底に隱れてゐる愛のために
底に忍び泣きしてる生命のために
おきざりになつてる魂のために
世界の最もおくれたものに
片足突つ込んでゐるのである

  わがまま者の歌 ――八月十六日

自分は小供の時泣蟲といはれたが
あまり泣いたことのない子だ
人が死んでも泣いたことがなかつた
ただ自分が一度あまりに馬鹿だと氣がついたとき
前後を忘れて泣いた
聲も涙も一度に爆發して來た
あれは二十歳《はたち》位の年であつた

自分が若しこの時涙の味を知らなかつたら
一生眞に泣くといふことを知らずに過したらう
惡いものにぶつかればぶつかる程力が出る
負けがこめばこむ程力が出る
自分はそれだけ光を追うてやまない子だ
追ひ廻してやまない光の子だ
つまづけば直ぐ起き上る
そしてまた立直つて行く
それは眼に涙がたまつてる事はあるだらう
しかし自分は泣いてなんぞゐられない
そんな所に片時もぐづついてゐられない疳癪持ちだ
冷酷だといふものは勝手にしろ

  山上の火よ ――九月

山上《さんじやう》の火よ
爆發《ばくはつ》する淺間よ
灰色なる暴風よ
流るる如く梢を靡かせる山林よ
をやみない流動の聲よ
君は絶えず爆發する
唸《うな》る
電《いなづま》を閃めかす
東京の靜かな街の十文字に自分がふと立停るとき
四方に電車が別れ別れに遠去《とほざか》るとき
自分は君を思うて嘆息する
憧憬する
ああどこにああいふ強い力が君にあるか
爆發せよ
君よ
街を人は歩いてゐる
煙草屋の店先に三四人ひと集《だか》りしてゐる

おお爆發せよ
君よ
灰色の暴風を吹き給へ
おお自分は嵐を讃美する
都會の屋根が大雷雨の下で
青くひつそりとしてゐるのが好きだ
暗い中からぴかりとするのが好きだ
ああちぢこまれる人間よ
息を殺してゐる人間よ
目に見えない力が
僕等の眼の前に迫つてゐるのだ

暗闇《くらやみ》にさして來る大潮《おほじほ》のやうに
この日中《につちゆう》に裸出してゐるのだ

おお空中よ
埃《ほこり》で眞白《ましろ》い
この中に嵐が潜《ひそ》んでゐる
爆發がひそんでゐる
全世界の祕密が常に隱れてゐる
自分はその大道を大跨《おほまた》で濶歩し
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