は自分を虜にした。斯くしてその夏三つ詩を書き、それから自分の生涯の最初の破綻《はたん》の起つたその年の末(明治四十二年)この『錘[#「錘」は太字]』に出て居る詩五篇を一度に書いた。自分は今それを自分の處女作とする。自分の一生の動搖と伴つて起つた最初の靈魂の叫び、最初の靈魂の呻きだからである。即ち自分はその年『全世界を失つて自己の靈魂を得た』。けれども自分の靈魂なるものは自分にとつて解くことの出來ない謎であつた。自分はその謎の吾が心を搾木《しめぎ》に掛ける苦痛に堪へなかつた。『錘』と言ひ『ポオに獻ず』と言ひ『窓から』と言ひ『白の微動』『落葉』と言ひ、乃至は翌年(明治四十三年)の『冬』と言ひ『安息日の晩れがた』と言ひ『記憶』と言ひ又翌々年(明治四十五年――大正元年)の『心』と一緒に纒められた過半の作『智慧の實を食べてより』『洪水前の夜のレヴエレイ』等の凡てと言ひ悉くその心の謎の解け難い苦痛から出てゐる。
自分はそれから此の人生を凝視した。あらゆる此の人生の中に生きてゐる人間の奧底のみじめさに涙流した。そして鳴けない日陰の鳥となつて樹の中に羽打《はばた》いた。斯くして『記憶と沈默[#「記憶と沈默」は太字]』の年は過ぎた。それから何にものも書かないその翌年(明治四十四年)も過ぎた。自分は藝術を棄て友達を棄て家を棄て吾を愛するすべての人を棄てた。或る時は自分の一生をも埋沒しようとした。或る時は見知らぬ人の中に這入つて算盤を彈き、スコツプを握り、生きるか死ぬかの瀬戸際を渡りもした。しかしそれ等の中には自分の眞に求めるものは無くて自分の瀕死の病氣を得たばかりである。自分は絶望した。人生は死以外に何の目的も希望も無いのを信じた。しかも死にたくなかつた。自分は涙流して今一度生きてこの人生を見直したかつた。
ああ自分は後悔しても後悔しても後悔し盡くされぬ過去がある。吾が愛する姉と伯母は其間に死に、死ぬべき筈であつた吾は今猶ほ生きて居る。自分の究極の嘆きは此處にある。愛さるるものは愛するものを殘して死んでゆく。彼等の生《せい》に戀々とした樣は其|後《あと》のものにとつてどれ位堪へ難いか、自分は彼等が殘した生の苦痛を引受けて吾が生の負擔はそれで自乘される。自分は喘いだ。じれた。そして或る時は吾が生はすつかり沮喪して一夜の内に死んだ父、姉、其他今一人の死者を一度に夢見たことがある。そして
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