、一面解決の端緒《たんちょ》が見えそうになると共に、一面問題はいよいよ大きくなるでしょう。しかし縦《よ》しやそんな風に根本の観念は生れ変って来るかも知れないとしても、宗教上に寺院の破壊が大事件《たいじけん》であると同じわけで、固まった道義的観念の破壊も大事件に相違ありません。それですから、何故《なぜ》お前は家常茶飯のような危険極まる作を翻訳するのだと云う人もありましょう。そういう人の立脚地から考えて見たら、危険かも知れません。しかしこれを危険だとして公《おおやけ》にしないとすれば、トルストイでもイブセンでも、マアテルリンク、ホフマンスタアルでも、現代的思想の作というものに、一つとして翻訳して好いのは無いのです。現代文学の全体を排斥しなくてはなりません。文学上の鎖国を断行する必要があります。そんならその鎖国を実行しようと思ったら、出来るでしょうか。あなたはどう思いますか。これも大問題ではありませんか。こん風に考えて行《ゆ》けば、問題は問題を生んで底止《ていし》する所を知らないのです。お尋《たずね》になるから、こんな事も言います。自分の出すものに講釈を附けて出すような事は、嫌《いや》だから
前へ
次へ
全81ページ中75ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
リルケ ライネル・マリア の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング