のだったら。――錯覚がようやく成功しはじめると私はそれからそれへ想像の絵具を塗りつけてゆく。なんのことはない、私の錯覚と壊れかかった街との二重写しである。そして私はその中に現実の私自身を見失うのを楽しんだ。
 私はまたあの花火というやつが好きになった。花火そのものは第二段として、あの安っぽい絵具で赤や紫や黄や青や、さまざまの縞模様《しまもよう》を持った花火の束、中山寺の星下り、花合戦、枯れすすき。それから鼠花火《ねずみはなび》というのは一つずつ輪になっていて箱に詰めてある。そんなものが変に私の心を唆《そそ》った。
 それからまた、びいどろ[#「びいどろ」に傍点]という色|硝子《ガラス》で鯛や花を打ち出してあるおはじきが好きになったし、南京玉《なんきんだま》が好きになった。またそれを嘗《な》めてみるのが私にとってなんともいえない享楽だったのだ。あのびいどろ[#「びいどろ」に傍点]の味ほど幽《かす》かな涼しい味があるものか。私は幼い時よくそれを口に入れては父母に叱られたものだが、その幼時のあまい記憶が大きくなって落ち魄《ぶ》れた私に蘇《よみが》えってくる故《せい》だろうか、まったくあの味に
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