顔を見ました。可愛い顔をしていました。老人は自分を洗い終ると次にはその児にかかりました。幼い手つきで使っていた石鹸のついた手拭は老人にとりあげられました。老人の顔があちら向きになりましたので私は、自分の方へその子の目を誘うのを予期して、じっと女の児の顔を見ました。やがてその子の顔がこちらを向いたので私は微笑みかけました。然し女の児は笑って来ません。然し首を洗われる段になって、眼を向け難《にく》くなっても上眼を使って私を見ようとします。しまいには「ウウウ」と云いながらも私の作り笑顔に苦しい上眼を張ろうとします。そのウウウはなかなか可愛く見えました。
「サア」突然老人の何も知らない手がその子の首を俯向《うつむ》かせてしまいました。
 しばらくしてその女の子の首は楽になりました。私はそれを待っていたのです。そして今度は滑稽な作り顔をして見せました。そして段々それをひどく歪《ゆが》めてゆきました。
「おじいちゃん」女の子がとうとう物を云いました。私の顔を見ながらです。「これどこの人」「それゃあよそのおっちゃん」振向きもせず相変らずせっせと老人はその児を洗っていました。
 珍しく永い湯の後、私は全く伸々《のびのび》した気持で湯をあがりました。私は風呂のなかである一つの問題を考えてしまって気が軽く晴々していました。その問題というのはこうです。ある友人の腕の皮膚が不健康な皺《しわ》を持っているのを、ある腕の太さ比べをしたとき私が指摘したことがありました。すると友人は「死んでやろうと思うときがときどきあるんだ」と激しく云いました。自分のどこかに醜いところが少しでもあれば我慢出来ないというのです。それは単なる皺でした。然し私の気がついたのはそれが一時的の皺ではないことでした。とにかく些細《ささい》なことでした。然し私はそのときも自分のなにかがつかれたような気がしたのです。私は自分にもいつかそんなことを思ったときがあると思いました。確かにあったと思うのですが思い出せないのです。そしてその時は淋しい気がしました。風呂のなかでふと思い出したのはそれです。思い出して見れば確かに私にもありました。それは何歳位だったか覚えませんが、自分の顔の醜いことを知った頃です。もう一つは家に南京虫が湧《わ》いた時です。家全体が焼いてしまいたくなるのです。も一つは新らしい筆記帳の使いはじめ字を書き損ねたときのことです。筆記帳を捨ててしまいたくなるのです。そんなことを思い出した末、私はその年少の友の反省の為に、大切に使われよく繕われた古い器具の奥床しさを折があれば云って見たいと思いました。ひびへ漆を入れた茶器を現に二人が讃《ほ》めたことがあったのです。
 紅潮した身体には細い血管までがうっすら膨《ふく》れあがっていました。両腕を屈伸させてぐりぐりを二の腕や肩につけて見ました。鏡のなかの私は私自身よりも健康でした。私は顔を先程したようにおどけた表情で歪ませて見ました。
 Hysterica Passio ――そう云って私はとうとう笑い出しました。
 一年中で私の最もいやな時期ももう過ぎようとしています。思い出してみれば、どうにも心の動きがつかなかったような日が多かったなかにも、南葵《なんき》文庫の庭で忍冬《すいかずら》の高い香を知ったようなときもあります。霊南坂で鉄道草の香りから夏を越した秋がもう間近に来ているのだと思ったような晩もあります。妄想で自らを卑屈にすることなく、戦うべき相手とこそ戦いたい、そしてその後の調和にこそ安んじたいと願う私の気持をお伝えしたくこの筆をとりました。
――一九二五年十月――[#この日付は行末に記す]



底本:「檸檬」新潮文庫、新潮社
   1967(昭和42)年12月10日初版発行
   1990(平成2)年1月20日46刷
入力:田中久太郎
校正:久保あきら
1999年8月31日公開
青空文庫作成ファイル:
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