ろ》えた趾《あし》で跳ねながら、四五匹の雀が餌を啄《つつ》いていた。こちらが動きもしないのに、チラと信子に気づいたのか、ビュビュと飛んでしまった。――信子はそんな話をした。
「もう大|慌《あわ》てで逃げるんですもの。しと[#「しと」に傍点]の顔も見ないで……」
 しと[#「しと」に傍点]の顔で行一は笑った。信子はよくそういった話で単調な生活を飾った。行一はそんな信子を、貧乏する資格があると思った。信子は身|籠《ごも》った。

     二

 青空が広く、葉は落ち尽くし、鈴懸《すずかけ》が木に褐色《かっしょく》の実を乾かした。冬。凩《こがらし》が吹いて、人が殺された。泥棒の噂や火事が起こった。短い日に戸をたてる信子は舞いこむ木の葉にも慴《おび》えるのだった。
 ある朝トタン屋根に足跡が印《しる》されてあった。
 行一も水道や瓦斯《ガス》のない不便さに身重の妻を痛ましく思っていた矢先で、市内に家を捜し始めた。
「大家さんが交番へ行ってくださったら、俺の管轄内に事故のあったことがないって。いつでもそんなことを言って、巡回しないらしいのよ」
 大家の主婦に留守を頼んで信子も市中を歩いた。

     三

 ある日、空は早春を告げ知らせるような大雪を降らした。
 朝、寝床のなかで行一は雪解の滴《しずく》がトタン屋根を忙しくたたくのを聞いた。
 窓の戸を繰ると、あらたかな日の光が部屋一杯に射し込んだ。まぶしい世界だ。厚く雪を被った百姓家の茅屋根《かややね》からは蒸気が濛々《もうもう》とあがっていた。生まれたばかりの仔雲! 深い青空に鮮かに白く、それは美しい運動を起こしていた。彼はそれを見ていた。
「どっこいしょ、どっこいしょ」
 お早うを言いにあがって来た信子は
「まあ、温かね」と言いながら、蒲団を手|摺《す》りにかけた。と、それはすぐ日向の匂いをたてはじめるのであった。
「ホーホケキョ」
「あ、鶯《うぐいす》かしら」
 雀が二羽|檜葉《ひば》を揺すって、転がるように青木の蔭へかくれた。
「ホーホケキョ」
 口笛だ。小鳥を飼っている近くの散髪屋の小僧だと思う。行一はそれに軽い好意を感じた。
「まあほんとに口笛だわ。憎らしいのね」
 朝夕朗々とした声で祈祷《きとう》をあげる、そして原っぱへ出ては号令と共に体操をする、御嶽教会の老人が大きな雪|達磨《だるま》を作った。傍に立札が
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