へ跳び込んで、あとを追った。橋までに捕えるつもりだった。
病気の身だった。それでもやっと橋の手前で捕えることはできた。しかし流れがきつくて橋を力に上ろうと思ってもとうてい駄目《だめ》だった。板石と水の隙間は、やっと勝子の頭ぐらいは通せるほどだったので、兄は勝子を差し上げながら水を潜り、下手でようやくあがれたのだった。勝子はぐったりとなっていた。逆にしても水を吐かない。兄は気が気でなく、しきりに勝子の名を呼びななら、背中を叩いた。
勝子はけろりと気がついた。気がついたが早いか、立つとすぐ踊り出したりするのだ。兄はばかされたようでなんだか変だった。
「このべべ何としたんや」と言って濡れた衣服をひっぱってみても「知らん」と言っている。足が滑った拍子に気絶しておったので、全く溺れたのではなかったとみえる。
そして、なんとまあ、いつもの顔で踊っているのだ。――
兄の話のあらましはこんなものだった。ちょうど近所の百姓家が昼寝の時だったので、自分がその時起きてゆかなければどんなに危険だったかとも言った。
話している方も聞いている方も惹《ひ》き入れられて、兄が口をつぐむと、静かになった。
「わたしが帰って行ったらお祖母《ばあ》さんと三人で門で待ってはるの」姉がそんなことを言った。
「何やら家にいてられなんだわさ。着物を着かえてお母ちゃんを待っとろと言うたりしてなあ」
「お祖母《ばあ》さんがぼけ[#「ぼけ」に傍点]はったのはあれからでしたな」姉は声を少しひそませて意味の籠《こも》った眼を兄に向けた。
「それがあってからお祖母さんがちょっとぼけ[#「ぼけ」に傍点]みたいになりましてなあ。いつまで経ってもこれに(と言って姉を指し)よしやん[#「よしやん」に傍点]に済まん、よしやんに済まんと言いましてなあ」
「なんのお祖母さん、そんなことがあろうかさ、と言っているのに」
それからのお祖母さんは目に見えてぼけ[#「ぼけ」に傍点]ていって一年ほど経ってから死んだ。
峻《たかし》にはそのお祖母さんの運命がなにか惨酷な気がした。それが故郷ではなく、勝子のお守りでもする気で出かけて行った北|牟婁《ムロ》の山の中だっただけに、もう一つその感じは深かった。
峻が北|牟婁《ムロ》へ行ったのは、その事件の以前であった。お祖母さんは勝子の名前を、その当時もう女学校へ上っていたはずの信子の名と、
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