やったりした。
 やがて仕度ができたので峻《たかし》はさきへ下りて下駄を穿《は》いた。
「勝子(姉夫婦の娘)がそこらにいますで、よぼってやっとくなさい」と義母が言った。
 袖の長い衣服を着て、近所の子らのなかに雑っている勝子は、呼ばれたまま、まだなにか言いあっている。
「『カ』ちうとこへ行くの」
「かつどうや」
「活動や、活動やあ」と二三人の女の子がはやした。
「ううん」と勝子は首をふって
「『ヨ』ちっとこへ行くの」とまたやっている。
「ようちえん?」
「いやらし。幼稚園、晩にはあれへんわ」
 義兄が出て来た。
「早うお出《い》でな。放っといてゆくぞな」
 姉と信子が出て来た。白粉《おしろい》を濃くはいた顔が夕暗《ゆうやみ》に浮かんで見えた。さっきの団扇《うちわ》を一つずつ持っている。
「お待ち遠さま。勝子は。勝子、扇持ってるか」
 勝子は小さい扇をちらと見せて姉に纏《まと》いつきかけた。
「そんならお母さん、行って来ますで……」
 姉がそう言うと
「勝子、帰ろ帰ろ言わんのやんな」と義母は勝子に言った。
「言わんのやんな」勝子は返事のかわりに口真似をして峻《たかし》の手のなかへ入って来た。そして峻は手をひいて歩き出した。
 往来に涼み台を出している近所の人びとが、通りすがりに、今晩は、今晩は、と声をかけた。
「勝ちゃん。ここ何てとこ[#「とこ」に傍点]?」彼はそんなことを訊《き》いてみた。
「しょうせんかく」
「朝鮮閣?」
「ううん、しょうせんかく」
「朝鮮閣?」
「しょう―せん―かく」
「朝―鮮―閣?」
「うん」と言って彼の手をぴしゃと叩《たた》いた。
 しばらくして勝子から
「しょうせんかく」といい出した。
「朝鮮閣」
 牴牾《もどか》しいのはこっちだ、といったふうに寸分違わないように似せてゆく。それが遊戯になってしまった。しまいには彼が「松仙閣」といっているのに、勝子の方では知らずに「朝鮮閣」と言っている。信子がそれに気がついて笑い出した。笑われると勝子は冠を曲げてしまった。
「勝子」今度は義兄の番だ。
「ちがいますともわらびます」
「ううん」鼻ごえをして、勝子は義兄を打つ真似をした。義兄は知らん顔で
「ちがいますともわらびます。あれ何やったな。勝子。一遍|峻《たかし》さんに聞かしたげなさい」
 泣きそうに鼻をならし出したので信子が手をひいてやりながら歩き出し
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