彼等の墓場だつたのだ。
 俺はそれを見たとき、胸が衝《つ》かれるやうな気がした。墓場を発《あば》いて屍体を嗜《たしな》む変質者のやうな惨忍なよろこびを俺は味はつた。
 この渓間ではなにも俺をよろこばすものはない。鶯《うぐひす》や四十雀《しじふから》も、白い日光をさ青に煙らせてゐる木の若芽も、ただそれだけでは、もうろうとした心象に過ぎない。俺には惨劇が必要なんだ。その平衡があつて、はじめて俺の心象は明確になつて来る。俺の心は悪鬼のやうに憂欝に渇いてゐる。俺の心に憂欝が完成するときにばかり、俺の心は和《なご》んで来る。
 ――お前は腋《わき》の下を拭いてゐるね。冷汗が出るのか。それは俺も同じことだ。何もそれを不愉快がることはない。べたべたとまるで精液のやうだと思つてごらん。それで俺達の憂欝は完成するのだ。
 ああ、桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる!
 一体どこから浮んで来た空想かさつぱり見当のつかない屍体が、いまはまるで桜の樹と一つになつて、どんなに頭を振つても離れてゆかうとはしない。
 今こそ俺は、あの桜の樹の下で酒宴をひらいてゐる村人たちと同じ権利で、花見の酒が呑めさうな気がする。

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