った。
その終わりに近いあるアーベントのことだった。その日私はいつもにない落ちつきと頭の澄明を自覚しながら会場へはいった。そして第一部の長いソナタを一小節も聴き落すまいとしながら聴き続けていった。それが終わったとき、私は自分をそのソナタの全感情のなかに没入させることができたことを感じた。私はその夜床へはいってからの不眠や、不眠のなかで今の幸福に倍する苦痛をうけなければならないことを予感したが、その時私の陥っていた深い感動にはそれは何の響きも与えなかった。
休憩の時間が来たとき私は離れた席にいる友達に目※[#「目+旬」、第3水準1−88−80]《めくば》せをして人びとの肩の間を屋外に出た。その時間私とその友達とは音楽に何の批評をするでもなく黙り合って煙草を吸うのだったが、いつの間にか私達の間できまりになってしまった各々の孤独ということも、その晩そのときにとっては非常に似つかわしかった。そうして黙って気を鎮めていると私は自分を捕えている強い感動が一種無感動に似た気持を伴って来ていることを感じた。煙草を出す。口にくわえる。そして静かにそれを吹かすのが、いかにも「何の変わったこともない」感
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