いのである。彼は滅多に口を利かない。その代りいつでもにこにこしている。おそらくこれが人の好い聾の態度とでもいうのだろう。だから商売は細君まかせである。細君は醜い女であるがしっかり者である。やはりお人好のお婆さんと二人でせっせと盆に生漆《きうるし》を塗り戸棚へしまい込む。なにも知らない温泉客が亭主の笑顔から値段の応対を強取しようとでもするときには、彼女は言うのである。
「この人はちっと眠むがってるでな……」
これはちっとも可笑《おか》しくない! 彼ら二人は実にいい夫婦なのである。
彼らは家の間《ま》の一つを「商人宿」にしている。ここも按摩が住んでいるのである。この「宗さん」という按摩は浄瑠璃屋の常連の一人で、尺八も吹く。木地屋から聞こえて来る尺八は宗さんのひま[#「ひま」に傍点]でいる証拠である。
家の入口には二軒の百姓家が向い合って立っている。家の前庭はひろく砥石《といし》のように美しい。ダリヤや薔薇《ばら》が縁を飾っていて、舞台のように街道から築きあげられている。田舎には珍しいダリヤや薔薇だと思って眺めている人は、そこへこの家の娘が顔を出せばもう一度驚くにちがいない。グレートヘ
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