た夕方、溪ぎわへ出ていた人があたりの暗くなったのに驚いてその門へ引返して来ようとするとき、ふと眼の前に――その牢門のなかに――楽しく電燈がともり、濛々《もうもう》と立ち罩《こ》めた湯気のなかに、賑やかに男や女の肢体が浮動しているのを見る。そんなとき人は、今まで自然[#「自然」に傍点]のなかで忘れ去っていた人間仲間[#「人間仲間」に傍点]の楽しさを切なく胸に染めるのである。そしてそんなこともこのアーチ形の牢門のさせるわざ[#「わざ」に傍点]なのであった。
私が寐る前に入浴するのはいつも人々の寝しずまった真夜中であった。その時刻にはもう誰も来ない。ごうごうと鳴り響く溪の音ばかりが耳について、おきまりの恐怖が変に私を落着かせないのである。もっとも恐怖とはいうものの、私はそれを文字通りに感じていたのではない。文字通りの気持から言えば、身体に一種の抵抗《リフラクシオン》を感じるのであった。だから夜更けて湯へゆくことはその抵抗だけのエネルギーを余分に持って行かなければならないといつも考えていた。またそう考えることは定まらない不安定な、埓《らち》のない恐怖にある限界を与えることになるのであった。し
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