合っていた。溪にせまっている山々はもう傾いた陽の下で深い陰と日表にわかたれてしまっていた。日表にことさら明るんで見えるのは季節を染め出した雑木山枯茅山であった。山のおおかたを被っている杉林はむしろ日陰を誇張していた。蔭になった溪《たに》に死のような静寂を与えていた。
「まあ柿がずいぶん赤いのね」若い母が言った。
「あの遠くの柿の木を御覧なさい。まるで柿の色をした花が咲いているようでしょう」私が言った。
「そうね」
「僕はいつでもあれくらいの遠さにあるやつを花だと思って見るのです。その方がずっと美しく見えるでしょう。すると木蓮によく似た架空的な匂いまでわかるような気がするんです」
「あなたはいつでもそうね。わたしは柿はやっぱり柿の方がいいわ。食べられるんですもの」と言って母は媚《なまめ》かしく笑った。
「ところがあれやみんな渋柿だ。みな干柿にするんですよ」と私も笑った。
 柿の傍には青々とした柚《ゆず》の木がもう黄色い実をのぞかせていた。それは日に熟《う》んだ柿に比べて、眼覚めるような冷たさで私の眼を射るのだった。そのあたりはすこしばかりの平地で稲の刈り乾されてある山田。それに続いた桑畑
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