「切符切り」の危険にも曝《さら》されるのであるが、ある日、私は猫と遊んでいる最中に、とうとうその耳を噛《か》んでしまったのである。これが私の発見だったのである。噛まれるや否や、その下らない奴は、直ちに悲鳴をあげた。私の古い空想はその場で壊《こわ》れてしまった。猫は耳を噛まれるのが一番痛いのである。悲鳴は最も微《かす》かなところからはじまる。だんだん強くするほど、だんだん強く鳴く。Crescendo のうまく出る――なんだか木管楽器のような気がする。
 私のながらくの空想は、かくの如くにして消えてしまった。しかしこういうことにはきりがないと見える。この頃、私はまた別なことを空想しはじめている。
 それは、猫の爪をみんな切ってしまうのである。猫はどうなるだろう? おそらく彼は死んでしまうのではなかろうか? 
 いつものように、彼は木登りをしようとする。――できない。人の裾を目がけて跳びかかる。――異《ちが》う。爪を研《と》ごうとする。――なんにもない。おそらく彼はこんなことを何度もやってみるにちがいない。そのたびにだんだん今の自分が昔の自分と異うことに気がついてゆく。彼はだんだん自信を失ってゆく。もはや自分がある「高さ」にいるということにさえブルブル慄えずにはいられない。「落下」から常に自分を守ってくれていた爪がもはやないからである。彼はよたよたと歩く別の動物になってしまう。遂にそれさえしなくなる。絶望! そして絶え間のない恐怖の夢を見ながら、物を食べる元気さえ失せて、遂には――死んでしまう。
 爪のない猫! こんな、便《たよ》りない、哀れな心持のものがあろうか! 空想を失ってしまった詩人、早発性|痴呆《ちほう》に陥った天才にも似ている! 
 この空想はいつも私を悲しくする。その全き悲しみのために、この結末の妥当であるかどうかということさえ、私にとっては問題ではなくなってしまう。しかし、はたして、爪を抜かれた猫はどうなるのだろう。眼を抜かれても、髭《ひげ》を抜かれても猫は生きているにちがいない。しかし、柔らかい蹠《あしのうら》の、鞘のなかに隠された、鉤《かぎ》のように曲った、匕首《あいくち》のように鋭い爪! これがこの動物の活力であり、智慧《ちえ》であり、精霊であり、一切であることを私は信じて疑わないのである。
 ある日私は奇妙な夢を見た。
 X――という女の人の私室で
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