があらわれて来る。それは月光が平行光線であるため、砂に写った影が、自分の形と等しいということがあるが、しかしそんなことはわかり切った話だ。その影も短いのがいい。一尺二尺くらいのがいいと思う。そして静止している方が精神が統一されていいが、影は少し揺れ動く方がいいのだ。自分が行ったり戻ったり立ち留ったりしていたのはそのためだ。雑穀屋が小豆《あずき》の屑を盆の上で捜すように、影を揺ってごらんなさい。そしてそれをじーっと視凝《みつ》めていると、そのうちに自分の姿がだんだん見えて来るのです。そうです、それは「気配」の域を越えて「見えるもの」の領分へ入って来るのです。――こうK君は申しました。そして、
「先刻あなたはシューベルトの『ドッペルゲンゲル』を口笛で吹いてはいなかったですか」
「ええ。吹いていましたよ」
と私は答えました。やはり聞こえてはいたのだ、と私は思いました。
「影と『ドッペルゲンゲル』。私はこの二つに、月夜になれば憑かれるんですよ。この世のものでないというような、そんなものを見たときの感じ。――その感じになじんでいると、現実の世界が全く身に合わなく思われて来るのです。だから昼間は阿片喫煙者のように倦怠《けんたい》です」
とK君は言いました。
自分の姿が見えて来る。不思議はそればかりではない。だんだん姿があらわれて来るに随《したが》って、影の自分は彼自身の人格を持ちはじめ、それにつれてこちらの自分はだんだん気持が杳《はる》かになって、ある瞬間から月へ向かって、スースーッと昇って行く。それは気持で何物とも言えませんが、まあ魂とでも言うのでしょう。それが月から射し下ろして来る光線を溯《さかのぼ》って、それはなんとも言えぬ気持で、昇天してゆくのです。
K君はここを話すとき、その瞳はじっと私の瞳に魅《みい》り非常に緊張した様子でした。そしてそこで何かを思いついたように、微笑でもってその緊張を弛《ゆる》めました。
「シラノが月へ行く方法を並べたてるところがありますね。これはその今一つの方法ですよ。でも、ジュール・ラフォルグの詩にあるように
[#天から2字下げ]哀れなるかな、イカルスが幾人も来ては落っこちる。
私も何遍やってもおっこちるんですよ」
そう言ってK君は笑いました。
その奇異な初対面の夜から、私達は毎日訪ね合ったり、一緒に散歩したりするようになりま
前へ
次へ
全7ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
梶井 基次郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング