とっても五里霧中であります。
しかし私はその直感を土台にして、その不幸な満月の夜のことを仮に組み立ててみようと思います。
その夜の月齢は十五・二であります。月の出が六時三十分。十一時四十七分が月の南中する時刻と本暦には記載されています。私はK君が海へ歩み入ったのはこの時刻の前後ではないかと思うのです。私がはじめてK君の後姿を、あの満月の夜に砂浜に見出したのもほぼ南中の時刻だったのですから。そしてもう一歩想像を進めるならば、月が少し西へ傾きはじめた頃と思います。もしそうとすればK君のいわゆる一尺ないし二尺の影は北側といってもやや東に偏した方向に落ちるわけで、K君はその影を追いながら海岸線を斜に海へ歩み入ったことになります。
K君は病と共に精神が鋭く尖《とが》り、その夜は影がほんとうに「見えるもの」になったのだと思われます。肩が現われ、頸《くび》が顕われ、微かな眩暈《めまい》のごときものを覚えると共に、「気配」のなかからついに頭が見えはじめ、そしてある瞬間が過ぎて、K君の魂は月光の流れに逆らいながら、徐々に月の方へ登ってゆきます。K君の身体はだんだん意識の支配を失い、無意識な歩みは一歩一歩海へ近づいて行くのです。影の方の彼はついに一箇の人格を持ちました。K君の魂はなお高く昇天してゆきます。そしてその形骸は影の彼に導かれつつ、機械人形のように海へ歩み入ったのではないでしょうか。次いで干潮時の高い浪がK君を海中へ仆《たお》します。もしそのとき形骸に感覚が蘇《よみが》えってくれば、魂はそれと共に元へ帰ったのであります。
[#天から2字下げ]哀れなるかな、イカルスが幾人も来ては落っこちる。
K君はそれを墜落と呼んでいました。もし今度も墜落であったなら、泳ぎのできるK君です。溺れることはなかったはずです。
K君の身体は仆《たお》れると共に沖へ運ばれました。感覚はまだ蘇えりません。次の浪が浜辺へ引き摺《ず》りあげました。感覚はまだ帰りません。また沖へ引き去られ、また浜辺へ叩きつけられました。しかも魂は月の方へ昇天してゆくのです。
ついに肉体は無感覚で終わりました。干潮は十一時五十六分と記載されています。その時刻の激浪に形骸の翻弄《ほんろう》を委《ゆだ》ねたまま、K君の魂は月へ月へ、飛翔《ひしょう》し去ったのであります。
底本:「檸檬・ある心の風景」旺文社文庫
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