っては吉田はやはり一匹の猫ぐらいでその母親を起こすということはできがたい気がするのだった。吉田はまた猫のことには「こんなことがあるかもしれないと思ってあんなにも神経質に言ってあるのに」と思って自分が神経質になることによって払った苦痛の犠牲が手応えもなくすっぽかされてしまったことに憤懣を感じないではいられなかった。しかし今自分は癇癪《かんしゃく》を立てることによって少しの得もすることはないと思うと、そのわけのわからない猫をあまり身動きもできない状態で立ち去らせることのいかにまた根気のいる仕事であるかを思わざるを得なかった。
 猫は吉田の枕のところへやって来るといつものように夜着の襟元から寝床のなかへもぐり込もうとした。吉田は猫の鼻が冷たくてその毛皮が戸外の霜で濡れているのをその頬で感じた。すなわち吉田は首を動かしてその夜着の隙間を塞《ふさ》いだ。すると猫は大胆にも枕の上へあがって来てまた別の隙間へ遮二無二《しゃにむに》首を突っ込もうとした。吉田はそろそろあげて来てあった片手でその鼻先を押しかえした。このようにして懲罰《ちょうばつ》ということ以外に何もしらない動物を、極度に感情を押し殺した
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