晩にしても吉田の心にはもうなにかの快楽を求めるような気持の感じられるような晩もあった。
 ある晩は吉田は煙草を眺めていた。床の脇にある火鉢の裾に刻煙草《きざみたばこ》の袋と煙管《きせる》とが見えている。それは見えているというよりも、吉田が無理をして見ているので、それを見ているということがなんとも言えない楽しい気持を自分に起こさせていることを吉田は感じていた。そして吉田の寐られないのはその気持のためで、言わばそれはやや楽しすぎる気持なのだった。そして吉田は自分の頬がそのために少しずつ火照《ほて》ったようになって来ているということさえ知っていた。しかし吉田は決してほかを向いて寐ようという気はしなかった。そうするとせっかく自分の感じている春の夜のような気持が一時に病気病気した冬のような気持になってしまうのだった。しかし寐られないということも吉田にとっては苦痛であった。吉田はいつか不眠症ということについて、それの原因は結局患者が眠ることを欲しないのだという学説があることを人に聞かされていた。吉田はその話を聞いてから自分の睡《ね》むれないときには何か自分に睡むるのを欲しない気持がありはしないかと
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