自分について虫のいい想像をしているんだということを吉田は思い知らなければならなかったのだった。だが吉田にとってまだ生《なま》々しかったのはその目高を自分にも飲ましたらと言われたことだった。あとでそれを家の者が笑って話したとき、吉田は家の者にもやはりそんな気があるのじゃないかと思って、もうちょっとその魚を大きくしてやる必要があると言って悪《にく》まれ口を叩《たた》いたのだが、吉田はそんなものを飲みながらだんだん死期に近づいてゆく娘のことを想像すると堪《たま》らないような憂鬱な気持になるのだった。そしてその娘のことについてはそれきりで吉田はこちらの田舎の住居の方へ来てしまったのだったが、それからしばらくして吉田の母が弟の家へ行って来たときの話に、吉田は突然その娘の母親が死んでしまったことを聞いた。それはそのお婆さんがある日上がり框《かまち》から座敷の長火鉢の方へあがって行きかけたまま脳溢血《のういっけつ》かなにかで死んでしまったというので非常にあっけない話であったが、吉田の母親はあのお婆さんに死なれてはあの娘も一遍に気を落としてしまっただろうとそのことばかりを心配した。そしてそのお婆さんが平常あんなに見えていても、その娘を親爺さんには内証で市民病院へ連れて行ったり、また娘が寝たきりになってからは単《ひそか》に薬をもらいに行ってやったりしたことがあるということを、あるときそのお婆さんが愚痴話に吉田の母親をつかまえて話したことがあると言って、やはり母親は母親だということを言うのだった。吉田はその話には非常にしみじみとしたものを感じて平常のお婆さんに対する考えもすっかり変わってしまったのであるが、吉田の母親はまた近所の人の話だと言って、そのお婆さんの死んだあとは例の親爺さんがお婆さんに代わって娘の面倒をみてやっていること、それがどんな工合にいっているのか知らないが、その親爺さんが近所へ来ての話に「死んだ婆さんは何一つ役に立たん婆さんやったが、ようまああの二階のあがり下《お》りを一日に三十何遍もやったもんやと思うてそれだけは感心する」と言っていたということを吉田に話して聞かせたのだった。
 そしてそこまでが吉田が最近までに聞いていた娘の消息だったのだが、吉田はそんなことをみな思い出しながら、その娘の死んでいった淋《さび》しい気持などを思い遣《や》っているうちに、不知不識《しらずしらず》の間にすっかり自分の気持が便《たよ》りない変な気持になってしまっているのを感じた。吉田は自分が明るい病室のなかにい、そこには自分の母親もいながら、何故か自分だけが深いところへ落ち込んでしまって、そこへは出て行かれないような気持になってしまった。
「やはりびっくりしました」
 それからしばらく経って吉田はやっと母親にそう言ったのであるが母親は、
「そうやろがな」
 かえって吉田にそれを納得さすような口調でそう言ったなり、別に自分がそれを、言ったことについては何も感じないらしく、またいろいろその娘の話をしながら最後に、
「あの娘はやっぱりあのお婆さんが生きていてやらんことには、――あのお婆さんが死んでからまだ二た月にもならんでなあ」と嘆じて見せるのだった。

     三

 吉田はその娘の話からいろいろなことを思い出していた。第一に吉田が気付くのは吉田がその町からこちらの田舎へ来てまだ何ヶ月にもならないのに、その間に受けとったその町の人の誰かの死んだという便りの多いことだった。吉田の母は月に一度か二度そこへ行って来るたびに必ずそんな話を持って帰った。そしてそれはたいてい肺病で死んだ人の話なのだった。そしてその話をきいているとそれらの人達の病気にかかって死んでいったまでの期間は非常に短かった。ある学校の先生の娘は半年ほどの間に死んでしまって今はまたその息子が寝ついてしまっていた。通り筋の毛糸雑貨屋の主人はこの間まで店へ据えた毛糸の織機で一日中毛糸を織っていたが、急に死んでしまって、家族がすぐ店を畳んで国へ帰ってしまったそのあとはじきカフエーになってしまった。――
 そして吉田は自分は今はこんな田舎にいてたまにそんなことをきくから、いかにもそれを顕著に感ずるが、自分がいた二年間という間もやはりそれと同じように、そんな話が実に数知れず起こっては消えていたんだということを思わざるを得ないのだった。
 吉田は二年ほど前病気が悪くなって東京の学生生活の延長からその町へ帰って来たのであるが、吉田にとってはそれはほとんどはじめての意識して世間というものを見る生活だった。しかしそうはいっても吉田は、いつも家の中に引っ込んでいて、そんな知識というものはたいてい家の者の口を通じて吉田にはいって来るのだったが、吉田はさっきの荒物屋の娘の目高《めだか》のように自分にすすめられた肺病の薬
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