きなくなるということや、そして母親も寝てしまってあとはただ自分一人が荒涼とした夜の時間のなかへ取り残されるということや、そしてもしその時間の真中でこのえたいの知れない不安の内容が実現するようなことがあればもはや自分はどうすることもできないではないかというようなことを考えるからで――だからこれは目をつぶって「辛抱するか、頼むか」ということを決める以外それ自身のなかにはなんら解決の手段も含んでいない事柄なのであるが、たとえ吉田は漠然とそれを感じることができても、身体も心も抜き差しのならない自分の状態であってみればなおのことその迷妄を捨て切ってしまうこともできず、その結果はあがきのとれない苦痛がますます増大してゆく一方となり、そのはてにはもうその苦しさだけにも堪え切れなくなって、「こんなに苦しむくらいならいっそのこと言ってしまおう」と最後の決心をするようになるのだが、そのときはもう何故か手も足も出なくなったような感じで、その傍に坐っている自分の母親がいかにも歯痒《はがゆ》いのんきな存在に見え、「こことそこだのに何故これを相手にわからすことができないのだろう」と胸のなかの苦痛をそのまま掴《つか》み出して相手に叩きつけたいような癇癪《かんしゃく》が吉田には起こって来るのだった。
しかし結局はそれも「不安や」「不安や」という弱々しい未練いっぱいの訴えとなって終わってしまうほかないので、それも考えてみれば未練とは言ってもやはり夜中なにか起こったときには相手をはっ[#「はっ」に傍点]と気づかせることの役には立つという切羽《せっぱ》つまった下心《したごころ》もは入っているにはちがいなく、そうすることによってやっと自分一人が寝られないで取り残される夜の退引《のっぴ》きならない辛抱をすることになるのだった。
吉田は何度「己《おのれ》が気持よく寝られさえすれば」と思ったことかしれなかった。こんな不安も吉田がその夜を睡《ね》むる当てさえあればなんの苦痛でもないので、苦しいのはただ自分が昼にも夜にも睡眠ということを勘定に入れることができないということだった。吉田は胸のなかがどうにかして和《やわ》らんで来るまでは否《いや》でも応でもいつも身体を鯱硬張《しゃちこば》らして夜昼を押し通していなければならなかった。そして睡眠は時雨空《しぐれぞら》の薄日のように、その上を時どきやって来ては消えてゆく
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