られ、ある距《へだた》りをおいて眺められるものとなる心の不思議が、ここの高い欅の梢にも感じられるのだった。
「街では自分は苦しい」
 北には加茂の森が赤い鳥居を点じていた。その上に遠い山々は累《かさな》って見える。比叡山――それを背景にして、紡績工場の煙突が煙を立登らせていた。赤|煉瓦《れんが》の建物。ポスト。荒神橋には自転車が通り、パラソルや馬力《ばりき》が動いていた。日蔭は磧に伸び、物売りのラッパが鳴っていた。

 五

 喬《たかし》は夜更けまで街をほっつき歩くことがあった。
 人通りの絶えた四条通は稀《まれ》に酔っ払いが通るくらいのもので、夜霧はアスファルトの上までおりて来ている。両側の店はゴミ箱を舗道に出して戸を鎖《とざ》してしまっている。所どころに嘔吐《へど》がはいてあったり、ゴミ箱が倒されていたりした。喬は自分も酒に酔ったときの経験は頭に上り、今は静かに歩くのだった。
 新京極に折れると、たてた戸の間から金盥《かなだらい》を持って風呂へ出かけてゆく女の下駄が鳴り、ローラースケートを持ち出す小店員、うどんの出前を運ぶ男、往来の真中で棒押しをしている若者などが、異様な盛り場の
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