それはかまわないことにしている。しかしその足音は僕の背後へそうっと忍び寄って来て、そこでぴたりと止まってしまうんです。それが妄想《もうそう》というものでしょうね。僕にはその忍び寄った人間が僕の秘密を知っているように思えてならない。そして今にも襟髪《えりがみ》を掴《つか》むか、今にも崖から突き落とすか、そんな恐怖で息も止まりそうになっているんです。しかし僕はやっぱり窓から眼を離さない。そりゃそんなときはもうどうなってもいいというような気持ですね。また一方ではそれがたいていは僕の気のせいだということは百も承知で、そんな度胸もきめるんです。しかしやっぱり百に一つもしやほんとうの人間ではないかという気がいつでもする。変なものですね。あっはっはは」
 話し手の男は自分の話に昂奮《こうふん》を持ちながらも、今度は自嘲的なそして悪魔的といえるかも知れない挑《いど》んだ表情を眼に浮かべながら、相手の顔を見ていた。
「どうです。そんな話は。――僕は今はもう実際に人のベッドシーンを見るということよりも、そんな自分の状態の方がずっと魅惑的になって来ているんです。何故と言って、自分の見ている薄暗い窓のなかが、
前へ 次へ
全25ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
梶井 基次郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング