ある崖上の感情
梶井基次郎

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)夏の宵《よい》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)足|許《もと》

[#]:入力者注
(例)軒燈にはきまったようにやもり[#「やもり」に傍点]が
−−

   1

 ある蒸し暑い夏の宵《よい》のことであった。山ノ手の町のとあるカフェで二人の青年が話をしていた。話の様子では彼らは別に友達というのではなさそうであった。銀座などとちがって、狭い山ノ手のカフェでは、孤独な客が他所《よそ》のテーブルを眺めたりしながら時を費すことはそう自由ではない。そんな不自由さが――そして狭さから来る親しさが、彼らを互いに近づけることが多い。彼らもどうやらそうした二人らしいのであった。
 一人の青年はビールの酔いを肩先にあらわしながら、コップの尻でよごれた卓子《テーブル》にかまわず肱《ひじ》を立てて、先ほどからほとんど一人で喋《しゃべ》っていた。漆喰《しっくい》の土間の隅《すみ》には古ぼけたビクターの蓄音器が据えてあって、磨り滅ったダンスレコードが暑苦しく鳴っていた。
「元来僕はね、一度友達
次へ
全25ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
梶井 基次郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング