明るくあるものは暗く閉《と》ざされている。漏斗型《じょうごがた》に電燈の被《おお》いが部屋のなかの明暗を区切っているような窓もあった。
 石田はそのなかに一つの窓が、寝台を取り囲んで数人の人が立っている情景を解放しているのに眼が惹《ひ》かれた。こんな晩に手術でもしているのだろうかと思った。しかしその人達はそれらしく動きまわる気配もなく依然として寝台のぐるりに凝立《ぎょうりつ》していた。
 しばらく見ていた後、彼はまた眼を転じてほかの窓を眺めはじめた。洗濯屋の二階には今晩はミシンを踏んでいる男の姿が見えなかった。やはりたくさんの洗濯物が仄《ほの》白く闇のなかに干されていた。たいていの窓はいつもの晩とかわらずに開いていた。カフェで会った男の言っていたような窓は相不変《あいかわらず》見えなかった。石田はやはり心のどこかでそんな窓を見たい欲望を感じていた。それはあらわなものではなかったが、彼が幾晩も来るのにはいくらかそんな気持も混じっているのだった。
 彼が何気《なにげ》なくある崖下に近い窓のなかを眺めたとき、彼は一つの予感でぎくっとした。そしてそれがまごうかたなく自分の秘《ひそ》かに欲していた情景であることを知ったとき、彼の心臓はにわかに鼓動を増した。彼はじっと見ていられないような気持でたびたび眼を外《そ》らせた。そしてそんな彼の眼がふと先ほどの病院へ向いたとき、彼はまた異様なことに眼を瞠《みは》った。それは寝台のぐるりに立ちめぐっていた先ほどの人びとの姿が、ある瞬間一度に動いたことであった。それはなにか驚愕《きょうがく》のような身振りに見えた。すると洋服を着た一人の男が人びとに頭を下げたのが見えた。石田はそこに起こったことが一人の人間の死を意味していることを直感した。彼の心は一時に鋭い衝撃をうけた。そして彼の眼が再び崖下の窓へ帰ったとき、そこにあるものはやはり元のままの姿であったが、彼の心は再び元のようではなかった。
 それは人間のそうしたよろこびや悲しみを絶したある厳粛な感情であった。彼が感じるだろうと思っていた「もののあわれ」というような気持を超した、ある意力のある無常感であった。彼は古代の希臘《ギリシャ》の風習を心のなかに思い出していた。死者を納《い》れる石棺《せっかん》のおもてへ、淫《みだ》らな戯れをしている人の姿や、牝羊《めひつじ》と交合している牧羊神を彫りつ
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