は洗濯屋の家らしく思われるのだった。またある一つの窓ではレシーヴァを耳に当てて一心にラジオを聴いている人の姿が見えた。その一心な姿を見ていると、彼自身の耳の中でもそのラジオの小さい音がきこえて来るようにさえ思われるのだった。
 彼が先の夜、酔っていた青年に向かって、窓のなかに立ったり坐ったりしている人びとの姿が、みななにかはかない運命を背負って浮世に生きているように見えると言ったのは、彼が心に次のような情景を浮かべていたからだった。
 それは彼の田舎の家の前を通っている街道に一つ見窄《みすぼ》らしい商人宿があって、その二階の手摺《てすり》の向こうに、よく朝など出立の前の朝餉《あさげ》を食べていたりする旅人の姿が街道から見えるのだった。彼はなぜかそのなかである一つの情景をはっきり心にとめていた。それは一人の五十がらみの男が、顔色の悪い四つくらいの男の児と向かい合って、その朝餉の膳に向かっているありさまだった。その顔には浮世の苦労が陰鬱に刻まれていた。彼はひと言も物を言わずに箸を動かしていた。そしてその顔色の悪い子供も黙って、馴れない手つきで茶碗をかきこんでいたのである。彼はそれを見ながら、落魄《らくはく》した男の姿を感じた。その男の子供に対する愛を感じた。そしてその子供が幼い心にも、彼らの諦めなければならない運命のことを知っているような気がしてならなかった。部屋のなかには新聞の付録のようなものが襖《ふすま》の破れの上に貼ってあるのなどが見えた。
 それは彼が休暇に田舎へ帰っていたある朝の記憶であった。彼はそのとき自分が危く涙を落としそうになったのを覚えていた。そして今も彼はその記憶を心の底に蘇《よみがえ》らせながら、眼の下の町を眺めていた。
 ことに彼にそういう気持を起こさせたのは、一棟《ひとむね》の長屋の窓であった。ある窓のなかには古ぼけた蚊帳《かや》がかかっていた。その隣の窓では一人の男がぼんやり手摺《てすり》から身体を乗り出していた。そのまた隣の、一番よく見える窓のなかには、箪笥《たんす》などに並んで燈明の灯った仏壇が壁ぎわに立っているのであった。石田にはそれらの部屋を区切っている壁というものがはかなく悲しく見えた。もしそこに住んでいる人の誰かがこの崖上へ来てそれらの壁を眺めたら、どんなにか自分らの安んじている家庭という観念を脆《もろ》くはかなく思うだろうと、そ
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