恥あれ! 恥あれ! かかる下等な奴等に! そこにはあらゆるものに賭けて汚すことを恐れた私達の魂があつたのだ。彼等にはさういふことがわからない。これは實に口惜しいことだつた。それから何年も經つてからであつたが、ある第三者からふとそのことに觸れられた。場所も憶えてゐるが、それは大學の池のふちである。――その瞬間、ながらく忘れてゐたその屈辱の記憶が不意に胸に迫つて來て、私の顏色が見る見る變つたので、何にも知らないその人を驚かしたことがあつた。こんな屈辱は永らく拭はれることのないものである。
ついでだからそのときの出し物を思ひ出して見よう。
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チエホフの 「熊」 一幕
シングの 「鑄掛屋の結婚」 一幕
山本有三の 「海彦山彦」 一幕
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「熊」の老僕にはあとで「青空」の同人になつた小林馨がなつた。小林は東北の生れで東北なまりが、その役を實にうまく生かした。借金取にはあとで「眞晝」を作つた楢本盟夫がなつたが、楢本は、ぷん/\怒る男なので、またその短氣なせりふが打つてつけで、今思ひ出しても思はず笑へて來るほど面白かつた。シングの「鑄掛屋の結婚」はこの三つのなかで芝居としては一番いいものだと今でも思つてゐるが、それは稽古を重ねてゐるうちに自然胸に感じられて來たことであつて、たつたそれだけのことでも、自分等の努力が手探りにわからせて呉れたのだと思ふとどんなに樂しかつたか知れない。これには「青空」の中谷孝雄が田舍の老牧師になつて出てゐる。「眞晝」の淺見篤も一役持つてゐた。中谷の老牧師は袋かなにかをかぶせられてぶん撲られたりするのであるがこれがまた可笑しかつた。臺本は松村みね子氏の譯本に據つたのだつたが、この定評ある飜譯もテキストと讀みあはせて見ると意味を通じなくしてしまつてあるせりふや誤つたト書などがあつて、その發見などはなか/\鼻の高いものだつた。英國の俗謠が出て來る。それはヱルダー先生に Fisher Women の譜を借して貰つて稽古した。「海彦山彦」は「青空」の外村茂と淺沼喜實とがやつた。これには撲り合ひの兄弟喧嘩があるので、それを熱心な外村がやるものだから、ほんたうの喧嘩みたいで、毎日それをやるときになると稽古する部屋の向ひの魚屋から人が立つて見てゐた。まだ/\かういふことを書けば切りがない。とにかく私達が何ヶ月
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