から、がまんのなりかねた女がつきつける手紙としては――情熱の歌人の書いたものとしては、おなじキッパリしすぎるなかに欠けたもののある感じと、踊らせよう、騒ぎたたせようとするいとがあるふうにも感じられる子供っぽい理窟《りくつ》、世馴《よな》れない腕白《わんぱく》さがあるのとは反対に、伝右衛門氏の方で、正式に離縁というのは、どことなく、どっしりして、わるあがきがちょっと去《い》なされたかたちにもとれる。
 廿三日には隠れ家も知れて、黒ちりめんの羽織を着て、面《おも》やつれのした写真まで出ていた。軽い風邪《かぜ》で寝ていて、親戚《しんせき》の人にも面会を避けると、自殺の噂が立ったり、警察でも調べたとあった。
 そのころ、丁度ワシントン会議のあったころで、徳川公爵や、加藤友三郎大将の両全権が、鹿島丸《かしままる》でアラスカの沖を通っている時に、日本からの無電は白蓮事件をつたえ、乗組の客はみんな緊張して、すさまじい論戦が戦わされた。それは廿四日のことだとも伝えてきた。
 と、いうだけでも、どんなにこの事件が、何処《どこ》もかもを沸騰させたかということがわかるではないか。まして生家の御同族がたをや! 真に、白蓮※[#「火+華」、第3水準1−87−62]子は身の置きどころもない観だった。

 だが、ああいった武子さんは、自分で綿入れを縫って隠れ家へ届けている。
 わたしが訪ねたのは、もう写真班の攻撃もなくなった、※[#「火+華」、第3水準1−87−62]子さんの廻りも、やっと落附いてきた時分だった。山本安夫と表札は男名でも、※[#「火+華」、第3水準1−87−62]子さんと台所に女の人がいただけだった。ふと、痩《や》せた女《ひと》の、帯のまわりのふくよかなのが目についた。そのことを、どこの何にも書いてなかったのは、気がつかなかったのかも知れないが、煩《うる》ささが倍加しなくてよかったと、わたしは心で悦んでいた。晒《さら》し餡《あん》で、台所の婦人《ひと》がこしらえてくれたお汁粉《しるこ》の、赤いお椀《わん》の蓋《ふた》をとりながら、※[#「火+華」、第3水準1−87−62]子さんが薄いお汁粉を掻《か》き廻している箸《はし》の手を見ると、新聞の鉄箒欄の人は、自分を崇拝している年下の男の方が、我儘が出来るのは当然だがといったが、どんなところから割出したものかと思った。昨日《きのう》まで
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