た御配慮に対しては厚く御礼を申上げます。
二伸、私の宝石類を書留郵便で返送致します。衣類などは照山《てるやま》支配人への手紙に同封しました目録通り、凡《すべ》てそれぞれに分け与えて下さいまし。私の実印は御送り致しませんが、もし私の名義となっているものがありましたらその名義変更のためには何時《いつ》でも捺印《なついん》致します。
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     十月廿一日[#地から2字上げ]※[#「火+華」、第3水準1−87−62]子
       伊藤伝右衛門様

 この手紙が出るまでもなく、前日の家出だけでも、事件はお釜《かま》の湯が煮えこぼれるような、大騒ぎになっていた。各新聞社は、隠れ家《が》の捜索に血眼《ちまなこ》だったが、絶縁状が『朝日新聞』だけへ出ると物議はやかましくなった。しかも、その手紙が、肝心な夫《おっと》伝右衛門氏の手にはまだ渡っていないのに、新聞の方がさきへ発表したというので騒いだ。黒幕があるというのだ。
 おなじ廿三日の、おなじ欄に、伝右衛門氏の九州福岡での談話が載った――
「天才的の妻を理解していた」という見出しで、
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互《たがい》の世界はちがっていても、謙遜《けんそん》しあうのが夫婦の道、だが絶縁状を見たうえは、何とか処置する。
勿論、今朝《けさ》の(廿二日)新聞で事情の大略は知ったが、しかし、そんな事が実際あるべきものとは思われない。※[#「火+華」、第3水準1−87−62]子としても、そんな無分別なことを果してしたものだろうか、本月末には博多《はかた》に帰って来る約束をしてある。家庭のことを振りかえって見ても、不愉快や、不満に思うふし[#「ふし」に傍点]は毛頭《もうとう》あるはずがないと思います。随分|我儘《わがまま》な女です。何不自由なく、世間《せけん》から天才とか何とかいわれるまで勉強もさせ、小遣《こづかい》だって月五十円はおろか一万円にものぼることすらある。あの女を、伊藤なればこそ養っているなどと噂《うわさ》もある。
それは柳原さんや、入江《いりえ》さんも知っている。
私は田舎者の無教育ですから、※[#「火+華」、第3水準1−87−62]子が住んでいる文学の世界などは毛頭知りません。だからその点遠慮して、どんな事をしようが、何一ツ小言《こごと》をいった事はありません。
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「忘れ
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