了しつくしてしまって、銅御殿《あかがねごてん》の女王火の国の白蓮と、その才華美貌を讃《たた》える声は、高まるばかりであった。伝右衛門氏は、それほどの女性《ひと》を、金で掴《つか》んでいるというふうに、好意をよせられないのもしかたがなかった。
だが、その時でも、どこまであの生活がいやなのか、あの歌のどこまでが真実なのかといったのは、彼女をよく知っていた人だと私は前にもいったが――
三
大正十年十月廿二日の、『東京朝日新聞』朝刊の社会面をひらくと、白蓮女史|失踪《しっそう》のニュースが、全面を埋《う》めつくし、「同棲《どうせい》十年の良人《おっと》を捨てて、白蓮女史情人の許《もと》へ走る。夫は五十二歳、女は二十七歳で結婚」と標柱して、左角の上には、伊藤|※[#「火+華」、第3水準1−87−62]子《あきこ》の最近の写真の下に宮崎|竜介《りゅうすけ》氏のが一つ枠《わく》にあり、右下には、伊藤伝右衛門氏と※[#「火+華」、第3水準1−87−62]子さんの結婚記念写真が出ていた。
その記事によると、十月二十日午前九時三十分の特急列車で、福岡へかえる伝右衛門氏を東京駅へ見送りにいったまま、白蓮女史は旅館、日本橋の島屋《しまや》へかえらず、いなくなってしまったということや、恋人は帝大新人会員の宮崎竜介氏であることや、結婚の間違っていたことや、柳原家の驚きや、まだ福岡の伊藤氏は知らないということが、紙面一ぱいで、誰にも、ああと叫ばせた。
次の日、廿三日の朝刊社会面には、伝右衛門氏へあてた、※[#「火+華」、第3水準1−87−62]子さんからの最後の手紙――絶縁状が出た。
全文を引かせてもらうと、
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私は今貴方《あなた》の妻として最後の手紙を差上げます。
今私がこの手紙を差上げるということは貴方にとって、突然であるかもしれませんが私としては当然の結果に外ならないので御座います。貴方と私との結婚当初から今日までを回顧して私は今最善の理性と勇気との命ずる処に従ってこの道を取るに至ったので御座います。御承知の通り結婚当初から貴方と私との間には全く愛と理解とを欠いていました、この因襲的結婚に私が屈従したのは私の周囲の結婚に対する無理解とそして私の弱少の結果で御座いました。しかし私は愚《おろか》にもこの結婚を有意義ならしめ出来得る限り愛と力とを
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