るともいえる。で、その時代を醸《かも》した、前期の美人観をといえば、一口に、明治の初期は、美人もまた英雄的であったともいえるし、現今のように一般的の――おしなべて美女に見える――そうしたのではなかった。「とても昔なら醜女《しこめ》とよばれるのだが、当世では美人なのか。」と、今日の目をもたない、古い美人観にとらわれているものは歎声を発しるが、徳川末期と明治期とは、美人の標準の度があまりかけはなれてはいなかった。
無論明治期にはいって、丸顔がよろこばれてきていた。「色白の丸ポチャ」という言葉も出来た。女の眼には鈴を張れという前代からの言いならわしが、力強く表現されてきている。けれど、やはり瓜実顔《うりざねがお》の下《しも》ぶくれ――鶏卵形が尊重され、角《かく》ばったのや、額《ひたい》の出たのや、顎《あご》の突出たのをも異国情緒――個性美の現われと悦ぶようなことはなかった。
瓜実顔は勿論徳川期から美人の標型になっていた。その点で明治期は美人の型を破り、革命をなし遂《と》げたとはいえない。そして瓜実顔は上流貴人の相である。その点で明治美人は伝統的なものであり、やはり因習にとらわれていたともいえる。維新の政変はお百姓の出世時《しゅっせどき》というようなことを、都会に生れたものは口にしていたが、「お百姓の出世」とは、幕府|直参《じきさん》でない、地方|侍《ざむらい》の出世という意味で、決して今日のように民衆の時代ではなかった。美人の型もおのずから法則があった。
とはいえ、徳川三百年の時世にも、美人は必ずしも同じ型とはいえない。浮世絵の名手が描き残したのを見てもその推移は知れる。春信《はるのぶ》、春章《しゅんしょう》、歌麿《うたまろ》、国貞《くにさだ》と、豊満な肉体、丸顔から、すらりとした姿、脚と腕の肉附きから腰の丸味――富士額《ふじびたい》――触覚からいえば柔らかい慈味《じみ》のしたたる味から、幕末へ来ては歯あたりのある苦みを含んだものになっている。多少骨っぽくなって、頭髪などもさらりと粗《あら》っぽい感じがする。羽二重や、絖《ぬめ》や、芦手《あしで》模様や匹田鹿《ひったが》の子《こ》の手ざわりではなく、ゴリゴリする浜ちりめん、透綾《すきや》、または浴衣《ゆかた》の感触となった。しかしこれは主《おも》に江戸の芸術であり、風俗である。京阪《けいはん》移殖《いしょく》の美人型が、漸《ようや》く、江戸|根生《ねおい》の個性あるものとなったのだった。錦絵、芝居から見ても、洗いだしの木目《もくめ》をこのんだような、江戸系の素質を磨《みが》き出そうとした文化、文政以後の好みといえもする。――その間に、明治中期には、中京美人の輸入が花柳界を風靡《ふうび》した――が、あらそわれないのは時代の風潮で、そうしたかたむきは、京都を主な生産地としている内裏雛《だいりびな》にすら、顔立ち体つきの変遷が見られる。内裏雛の顔が尖《とが》って、神経質なものになったのは、明治の末大正の初めが甚《はなはだ》しかった。
上古の美人は多く上流の人のみが伝えられている。稀《まれ》には国々の麗《うる》わしき少女《おとめ》を、花のように笑《え》めるおもわ、月の光りのように照れる面《おもて》とうたって、肌の艶《つや》極めてうるわしく、額広く、愁《うれい》の影などは露ほどもなく、輝きわたりたる面差《おもざし》晴々として、眼瞼《まぶた》重げに、眦《まなじり》長く、ふくよかな匂わしき頬《ほほ》、鼻は大きからず高すぎもせぬ柔らか味を持ち、いかにものどやかに品位がある。光明皇后《こうみょうこうごう》の御顔をうつし奉《たてまつ》ったという仏像や、その他のものにも当時の美女の面影をうかがう事が出来る。上野博物館にある吉祥天女《きっしょうてんにょ》の像、出雲《いずも》大社の奇稲田姫《くしいなだひめ》の像などの貌容《がんよう》に見ても知られる。
平安朝になっては美人の形容が「あかかがちのように麗々《れいれい》しく」と讃えられている。「あかかがち」とは赤酸漿《たんばほおずき》の実《み》の古い名、当時の美女はほおずきのように丸く、赤く、艶やかであったらしくも考えられる。赤いといっても色艶《いろつや》うるわしく、匂うようなのを言ったのであろう。古い絵巻などに見ても、骨の細い、肉つきのふっくりとした、額は広く、頬も豊かに、丸々とした顔で、すこし首の短いのが描いてある。そのころは、髪の毛の長いのと、涙の多いのとを女の命としてでもいたように、物語などにも姿よりは髪の美しさが多くかかれ、敏感な涙が多くかかれてあるが、徳川期の末の江戸女のように、意気地《いきじ》と張りを命にして、張詰めた溜涙《ためなみだ》をぼろぼろこぼすのと違って、細い、きれの長い、情のある眦《まなじり》をうるませ、几帳《きちょう》のかげに
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