た。
 いつぞや有楽座で、チェホフの「叔父《おじ》ワーニャ」を素人《しろうと》の劇団の方たちが演じたおり、奥村さんがギターを弾《ひ》く役をなさった事がありました。あの節お招きを頂きながら田端《たばた》のアトリエへうかがわなかったのを、いまでも大層残念に思っております。お宅が芝居のおけいこばになっているから見に来てくれるようにとお言《こと》づてのあったおり、わたくしは何ともいえぬ和気藹々《わきあいあい》としたものを感じました。わたくしもあなたがたを取巻く劇中の一人のはやくになって、田端の画室の仮《かり》けいこ場へ登場して、御家庭にも親しんでみたいと思っておりましたが、なかなか家を出ないのがわたくしの癖で、そうしなければと思っているうちが、何んでも一番心持が緊張している時で、さあという段になると気が重くなるのがわたくしの悪い習慣なのでございます。
 あなたをぜひ美人伝に入れなくてはならない方だと、わたくしがいったのを、人づてにお聞きになって「どうぞお書き下さい。だが、どんな風にお書きになるでしょう」と仰しゃったというお言《こと》づてを伺ったのも、もう三年も前になります。どんなふうにといって、あなたは単に美人伝ばかりの人ではありませんから、わたくしは、あっさりと、あなたのお名を加えて自分の満足だけに致すのです。貴女の伝記は、思想家として――近代女性の母としてあるべきです。
 あなたというお方は、気持の優しい方だと思います。知らない方は、あなたをまるで違ったふうに思っているでしょうと思います。女丈夫だから、若く、ねんごろにつかえる夫を持ったなどと推測にすぎることを言って平気なものもありますが、それは大変あやまった事で、あなたほどの方が夫から敬されたのはあたり前です。それ以上の親しみと愛が、そんな事を包んでしまうのを知らないのです。妻というものは台所の俎板《まないた》と同様、または雑巾《ぞうきん》ぐらいに見てよいものだといって憚《はばか》らないものがあることゆえ、妻の偉さを知っているものを白眼で見て、羨《うらや》ましさから起る嫉妬《しっと》にしか過ぎません。なんであなたほどのかたが、妻におもねり、機嫌ばかり取っているような、そんな男を男と見ましょうか、伴侶《はんりょ》として選みましょうか。見せかけだけでしか標準をさだめ得ない、世の中の軽薄さを思わせられます。
 田村俊子さんがお書《かき》になった日記の中で、読んだことがあります。みじかい文のなかに、あなたという方がくっきりと浮いて見えたのをおぼえております。見つけだしましたから書いて見ましょう。

[#ここから2字下げ]
十一月廿四日、夕方平塚さんが見える。今日は黒い眼鏡がないので顔の上から受ける感じが明るい。話をしている間に深味のある張《はり》をもった眼が幾度も涙でいっぱいになる。この人を見ると、身体じゅうが熱に燃えている、手をふれたら焦げただらされそうな感じがするでしょう、とある人のいった事を思いだす。厚い口尻に深い窪《くぼ》みを刻みつけて、真っ白な象牙《ぞうげ》のような腕を袖口から出しながら、手を顎《あご》のあたりまで持っていって笑うとき、ちょっと引き入れられる。私はこの人の声も好きだ。
[#ここで字下げ終わり]

 わたくしはあなたのお顔を、天平《てんぴょう》時代の豊頬《ほうきょう》な、輪廓のただしい美に、近代的知識と、情熱に輝き燃《もえ》る瞳《ひとみ》を入れたようだとつねにもうしておりました。
 らいてうさま、
 あなたが濡《ぬ》れそぼちて、音楽会の切符を持ち廻られたり、劇場と特約した切符を売ったり、なれない場処で、芝居の座席の割りつけに苦心してお出でなさるのを見るのはお気の毒のようにさえ思いおりました。くれぐれも只今の御生活を、お身体《からだ》の滋養となさって、御休養を切に祈ります。これからの激しい世波《よなみ》を乗り越すには、気力も、体力も、智力の下に見る事は出来まいと思います。御自愛なさいまし、らいてうさま。
[#地から1字上げ]――大正十二年七月――

[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]
附記 明治四十四年十月、平塚らいてう(明子)さんによって『青鞜』が生れたのは、劃期的な――女性|覚醒《かくせい》の黎明《れいめい》の暁鐘であった。このブリュー・ストッキングを標榜《ひょうぼう》した新人の一団は、女性|擾頭《たいとう》の導火線となったのだった。
[#ここから3字下げ]
『青鞜』創刊の辞に、
原始、女性は太陽であった。真正の人であった。
今、女性は月である。他に依《よ》って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白《あおじろ》い顔の月である。
さてここに『青鞜』は初声《うぶごえ》を上げた。
現代の日本の女性の頭脳と手によって始めて出来た『青鞜』は初声を上げた。
女性のなすことは今はただ嘲《あざけ》りの笑を招くばかりである。
私はよく知っている、嘲りの下に隠れた或ものを。
そして私は恐れない。
(中略)
――私どもは隠されたる我が太陽を今や取戻さねばならぬ。
[#ここから2字下げ]
わたくしは新らしい女である。わたくしは太陽であると、らいてうさんは叫んだ。
「新らしい女」という名が、讃美、感嘆、中傷、侮辱、揶揄《やゆ》と入り交って、最初は青鞜社員から社友に、それからは一般の進歩的婦人の上にふりそそがれた。
『青鞜』は最初、社会的に全然地位も自由ももたない婦人たちが、文芸を通じて心の世界に自由を求め、そこに自分の生命を見出そうと、中野初子《なかのはつこ》(日本女子大学国文科出身)木内錠子《きうちていこ》(同)保持研子《やすもちよしこ》(同)物集和子《もずめかずこ》(夏目漱石門人・物集博士令嬢)平塚明子《ひらつかはるこ》(日本女子大学家政科出身)の五人の発起だった。
 この人たちの勇気と決心は、婦人解放運動の炬火《きょか》となったのだ。
『青鞜』の編輯は、最終のころは、伊藤野枝さんにかわっていた。野枝さんは後に大杉栄《おおすぎさかえ》氏夫人となって、震災のおり×されてしまった。
この附記は、らいてうさんの出発点をよく知らぬ人のために、蛇足《だそく》かもしれぬが記《しる》しておく。
[#ここで字下げ終わり]



底本:「新編 近代美人伝(上)」岩波文庫、岩波書店
   1985(昭和60)年11月18日第1刷発行
   1993(平成5)年8月18日第4刷発行
底本の親本:「近代美人伝」サイレン社
   1936(昭和11)年2月発行
初出:「婦人画報」
   1922(大正11)年9月
※編集部の付けた註は除きました。
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2007年4月10日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング