と、綾之助は石井氏を木戸口に待ち迎えていて、氏の好みを聞いてその夜の語りものを改ためたりした。それを見て綾之助の心を悟った彼は絶望のあまり、冬の夜を一夜、品川海岸をさ迷っていたこともあった。その死にもしかねぬ彼の恋が綾之助の偽《にせ》手紙をつくって石井氏の心を試《ため》した。
 それが二人を結びつける強い綱になったのだった。苦悶《くもん》は彼をたかめて、綾之助を失意のものにさせまいと、優しい思いやりまでして、彼は石井氏の両親が選んだ娘のあったのを、破約にさせるように骨を折った。そんなことがちらちらと噂《うわさ》に立つと、綾之助の高座へ悪戯《いたずら》をするものが出来た。石井氏の名を知って害《あや》めようとする者などもあった。養母の鶴勝を煽《おだ》てるものもあった。石井氏は後日の健全な家庭をつくるためにと、綾之助を慰めておいて、雄々《おお》しくも志望を米国へ伸《のば》しに渡った。綾之助はその留守をどうして暮したであろう、彼女は派手な芸人の上に、日の出の人気の花形である。あらぬ噂も立つ、またその上に大阪役者の中村|芝雀《しばじゃく》(後に雀右衛門)を従兄妹《いとこ》にもっていたので、東上のおりには、引幕を遣《おく》ったり見連《けんれん》を催したりする、彼女の生活の色彩は、いよいよ華やかであった。けれどそれは表向きだけで、彼女は健太氏の帰朝を一日も長しと待ちわびていた。彼女は未来の夫のために便船ごとに出す手紙を、忙しい間にかかさずに書いた。笑われまいために学びもした、裁縫などもならった。昔日《せきじつ》の「男おんな」はすっかり細君|気質《かたぎ》になっていた。
 五年ぶりに成功して帰朝した石井氏を、廿三歳の豊麗な彼女が迎えた。養母の鶴勝はその悦びを共にすることを得ず、もはや鬼籍《きせき》にはいっていた。二人の心は一日も早くと焦燥《あせ》りはしたが、席亭《よせ》組合の懇願もだしがたく、綾之助の引退は一ヶ年の後に延引《のば》された。全くその頃は綾之助が出ると、投げ下足《げそく》というほど、席亭《よせ》の手が廻りかねる大入|繁昌《はんじょう》だった。石井氏が帰ってきてから何よりおかしがられたのは、(取消し屋の綾之助)といわれるほど克明に、制限なく新聞へ載せられる誤聞を、一々取消させないではおかなかったことだ。
 人世の嵐《あらし》――この二人の上にも、ふと曇った影がさしたことも
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