大川ばた
長谷川時雨

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)下總野《しもふさの》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)大名|下邸《しもやしき》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#ここから2字下げ]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)いう/\と
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 大川は、東京下町を兩斷して、まつすぐに流れてゐる。
 その古の相貌は、まことに美しい潮入り川で、蘆荻ところどころ、むさしの側は、丘は鬱蒼として、下總野《しもふさの》の、かつしかあがたは、雲手《くもで》の水に水郷となり、牛島の御牧《みまき》には牛馬が放牧されてゐた。北には筑波が朝紫に、西に富士はくれなゐの夕照《ゆふばえ》にくつきりと白く、東南に安房上總は青黛のやうに、海となる空のはてに淡い。
 このころこそ全くの隅田川で、
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名にしおはばいざこと問はん都鳥我思ふ人はありやなしやと。
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 と、東下りの業平さんに涙させた――もつとも、その古跡は、埼玉の古利根川だともいふが――白き鳥の、喙と足の赤いのが、いう/\と魚をくつて、むつれてゐたのだ。してまた、白い鳥がくつきりと見えるほど、水は澄んで青かつたのだ。
 お江戸となつた元祿のころには、江東にばせを[#「ばせを」に傍点]が住んでゐて、大川に、新大橋がかかると、
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ありがたやいただいてふむ橋の霜。
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 と吟じ、五十年ばかりたつと、賀茂の眞淵うしの縣居《あがたゐ》は、こつちがしの濱町、大川の浦に新築され、庭を野邊、畑につくり、名ある國學者を招いて十三夜の月をめでてゐる。
 その時分の大川端、中洲の三叉《さんまた》は月の名所で、これまた泥川の濁流ではない。
 大川端といふ名が、ある種の魅惑をもつてきこえてきたのは、吉原が淺草千束村に移り、その交通路とこの川筋がなつたので、特殊の文化を兩岸に生んで來てからで、辰巳(深川)お旅辨天や松井町(本所)の賑はひと、辰巳文學(といつてよければ)香夢洲《むかふじま》文學と切りはなされない。やがて、日本橋人形町の芝居小屋が淺草猿若町に移轉すると、吉原、觀音樣地内、芝居茶屋、舟宿、柳橋、兩國の盛り場と石濱、山の宿《しゆく》側は流れて來て、
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