してゐると、もう潮時だつたと見えて、好いあんばいに落付いて來た。
眼が覺めると十月|一日《ついたち》、秋雨が降つてゐる。生れたのは廿八日だとか廿九日だとかの晩だといふが、ともかくわたしの出生は十月一日になつてゐる。例年《いつも》秋澄んだ空の、氣持ちの好い日和が多いのに、降つてゐるなと思ひながら、ぼんやり、床の中から庭の薄の穗の若いのに眼をやつてゐると、隣室では、赤のまんまに白味噌のおつけで、おめでたいことだと笑つてゐる。
それは、長い病氣のあとの靜養期であつた主人《あるじ》が、思ひがけぬわたしの不時の失策で、朝の身じんまくも獨りでやつて見たし、御飯もひとりで食べて、他の介添も要らなかつたので、ニコニコしてゐるのだつた。そして主治醫の安田徳太郎博士の顏を見ると、
「あたしに友達がよこしてくれた漢藥を飮んで、効きすぎて、あすこに寢てゐる者があります。」
といひつけてゐる。そして、わたしの方が診察をうけ、お腹《なか》にコンニヤクをあて、藥を服《の》み、休養を申渡された。
一日はたうとう雨に暮れてゆきさうだ。一昨年《おととし》の十月は、晴れた日がつづいて、空を見ては、東京の上だけでも飛行機に乘つて見たいと言ひ/\したので、朱弦舍《しゆげんしや》荻原濱子が、乘るのなら、わたしもないしよで乘りたいと言つて、それから幾度か、今日はどうだ、明日はどうだときいて來たが、出ようと思ふ日には客があつたり、その日でなければならぬ用事があつて、うまく行かなかつた。去年は主人《あるじ》の病氣でそれどころでなかつたが、十月に、ふと訪れて來た濱子が、なんとなく淋しげだと思つたら、それが最後で、重い病氣《やまひ》になつて、わたしは見舞つてやれないうちになくなつてしまつた。
こんな面白くもない隨筆を書いては「あらくれ」に申譯ない氣がするが、今の氣持だからしかたがない。
さういへば、防空演習の夜も雨だつた。その第一夜に、
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空襲に更けしづまりて虫の聲
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と口ずさんだので、傘雨《さんう》宗匠に、これでも俳句となりませうかと、うかがつて見ようと思ひながらそのままになつてゐる。一ツ書いたらば、どうせ恥の上塗り、やかなも知らぬのだから、ヘボ句といふことにさへもなるまいが、
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防空の霧ふかき夜を出征す
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