うな風情に見えて、それでゐて心は實に強い、實にたまらなくそれが嬉しかつた、男性を向うへ※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]しての宣戰です。それこそ男なんぞは知らない優越を感じたので、誰でも鏡花宗になる時代は屹度一度はある筈です、なければよつぽど不思議な位、そんな女は夢を知らない、御飯とお金と慾情だけ――といふ風にもまあとれなくもないでせう。
 鏡花式とある人は一口にいふ、それは重に侠などこか、奴の小萬式の、たてひきの強い、ぐつとくる癪なのを糸切り齒で噛みころして、柳眉をすこしあげてポンと投出したやうな物言ひをする女人をさすが、先生の好いのはそんなことではありません。さういふと大層大まかな言ひ方になりますが、あのうつむいた、しをらしい、胸の所の帶上げの結び目を、そつと袖を合はしてかくして、美しいえりあしのこぼれ毛をふるはせてゐる、袖口のにほはしい、娘!娘! むすめといふ字がほんとにしつくりあつてゐる――紅梅のやうなどこかに凛としてゐるのも、初花櫻のやうなのも、海棠のやうなのも、芽出し柳のやうなのも、雨に風に露に、夕月にとり/″\に、ほんとうに、うぶに氣品があつてそのくせ優しく、いぢらしく涙を含んでゐながら、飴湯のやうに甘く解けてしまはない、生娘が天下の寶のやうな氣がします。私が勝手に思ふのは、十七かの年に、お駕籠へ乘つてお振袖に胸をおさへて、江戸からはる/″\加賀の國の山々にかこまれたお城下へ住み移つたといふ美しい女の面影が、あやしい程先生の胸にこもつて、悲しい、さびしい、やる瀬ない思を嘆き訴へたのではなからうかと。
 その次に私は、先生の水色情緒に怪しいまでにひきつけられてゐました、水色情緒と私が自分勝手にいつてゐるその中でも、ことに玲瓏と水の上一尺ばかりに立つ曉の煙り――そんな風にもいつたらよからうか、ほの/″\とした紫雲――紫水晶を生む山の瑞氣といつたやうなものを持つ女性、惱みと憂悶に疲れて、香氣を吐く令室又は嫁女、その次は純水色の妖女、旅藝人、侠女、藝者……
 古い頃、鏑木清方さんが、鏡花先生の女性には紫でも淡紅でもない、水淺葱でなくつてはならない、が、どうも水淺葱が思ふやうな色に出ないのが氣になつて、とお話なさつたが、全く水淺葱が夏の曉の風のやうに、すつきりと濁りがなく出てゐるのは先生お作中の年増女です。
 女仙前記、きぬ/″\川、辰巳巷談、書きだした
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