見えるようであった。暗い寒い静かな明方《あけがた》に、誰れも気づかぬとき、床の間の寒牡丹《かんぼたん》が崩れ散ったような彼女の死の瞬間が想像され、死顔を見るに堪えなくなって暇《いとま》を告げた。
 秋田さんは玄関まで連立って来ながら、
「あすこへね、あすこから卓《テーブル》と椅子《いす》を持っていって、赤い紐《ひも》で縊《くび》れたのです。ちゃんと椅子を蹴《け》ったのですね息をのんだと見えて口を閉じていたし、それは綺麗な珍らしい死方だそうです」
 こういうおりに送り出されるのは忌むのが風習ではあるけれど、話しながら送りだされてしまった。
 私は道を歩きながら彼女に逢ったおりの印象を思いうかべていた。舞台外では幾度と逢ったのではないが、いつでもあの人はキョトンとした鳩《はと》のような目附きで私の顔を眺めていた。文芸協会の生徒の時分もそうであったし、芸術座の女王《クイン》、女優界の第一人者となってからもそうであった。貞奴《さだやっこ》が引退興行のときおなじように招かれて落ち合ったおり、野暮《やぼ》なおつくりではあるが立派な衣裳になった彼女は飾りけのないよい夫人《おくさん》であった。田村俊子《たむらとしこ》さんが、
「何故《なぜ》挨拶《あいさつ》しないのよ。だまって顔ばかり見ていてさ。一体知っているの知らないの」
 こう言っても、やっぱり丸い眼をして――舞台で見るのとはまるで違う、生彩のない無邪気な眼をむけて、だまって、度外《どはず》れた時分にちょいと首を傾《かし》げて挨拶とお詫《わび》とをかねたこっくり[#「こっくり」に傍点]をした。それが私には大変よい感じを与えたのであった。可愛いところのある女だと思った。

 自分のことと須磨子の事件とがひとつになって、新聞を見ていても目の裏が火のように熱く痛くなった。彼女が臨終七時間前に撮《うつ》したという「カルメン」の写真は、彼女の扮装《ふんそう》のうちでもうつくしい方であるが、心なしか見る目に寂しげな影が濃く出ている。どうした事かそのおりばかりは、写真を撮《と》るのを嫌がって泣いたのを、例の我儘《わがまま》だとばかり思って、誰れも死ぬ覚悟をしている人だとは知らないので、「そんな事をいわないで」といって無理に撮らせてもらったのだというが、死の前に写した、珍らしい形見の写真になってしまった。きっと彼女の目のなかは、焼けるように痛か
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