あったのであろう。その本尊《ほんぞん》が死を決したときに芸術も信仰も残らぬはずである。楠山氏への偏愛問題とかが脚本部動揺の基《もと》になっていたようであったが、彼女がこの後いくら生《いき》ていて誰れに愛を求めようとも、抱月氏の高さ、尊さが、胸に響きかえってくるばかりで、決して満足のあるはずはない。かの女《じょ》の死は当然のことである。
私は彼女のことを詩のない女優といったが、あの女《ひと》の死は立派な無音の詩、不朽な恋愛詩を伝えるであろう。ほんとに死処《しにどころ》を得た幸福な人である。
松井須磨子の名は、はじめて芸名をさだめる時に、印刷物の都合でせきたてられたとき、松代《まつしろ》から出たのだから松代須磨子としようといったら、傍から、まっしろ(真白)須磨子ときこえると茶化したので、それでは松井にしようといった。するとまた、まずい須磨子ときこえるといった。けれど「まずくっても好い」と小さな紙裂《かみき》れへ書いて出したのが、大きな名となって残るようになった。
とはいえ彼女はやっぱり慾張っていた。死ぬまで大芝居《おおしばい》を打って、見事に女優としての第一人者の名を贏得《かちえ》ていった。乏しい国の乏しい芸術の園に、紅蓮《ぐれん》の炎が転《ころ》がり去ったような印象を残して――
[#地から2字上げ]――大正八年四月――
底本:「新編 近代美人伝(上)」岩波文庫、岩波書店
1985(昭和60)年11月18日第1刷発行
1993(平成5)年8月18日第4刷発行
底本の親本:「近代美人伝」サイレン社
1936(昭和11)年2月発行
初出:「婦人画報」
1919(大正8)年4月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2007年4月10日作成
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