になりたいが鼻が低いからとしきりに気にしていた。そこで某氏はパラフィンを注射した俳優に知合《しりあい》のある事をはなして、そんな例もあるから心配するにも及ぶまいというと、彼女はその俳優の鼻が見せてもらいたいといいだしたので連れてゆくと、やっと安心してその後注射した。
 鼻の問題ではも一つ面白い挿話《エピソード》がある。佐藤(田村)俊子さんが、文芸協会の女優になろうとしたことがある。女史は充分に舞台を知っているうえに、遠くない前に本郷座《ほんごうざ》で「波」というのを演《や》って、非常な賞讃を得た記憶が新しかったから、気まぐれではなかったのにどうしたことか中止してしまった。ある日そのことを言出して、噂《うわさ》は嘘だったのか本当だったのかと聞くと、
「嘘のことはない。やろうと思ったから行ったのだけれど中止《やめ》にしてしまったの。だって、須磨子の鼻を見ていたら――鼻の低いものが寄合ったってしようがないじゃないの」
 あの女史はポンポンと言ってしまったけれど、口のさきと心の底と、感じたものとおなじであったかどうかはわからない。感覚の鋭い女史が、激しい気性の須磨子と上になることも下になることも出来にくいと、見てとったと思うのは推測にすぎるかもしれないが、低い鼻という愛敬にかたづけてしまった俊子女史の機智《ウィット》もおもしろい。いま米国《アメリカ》の晩香波《バンクーバー》に新しい生涯を開拓しようとして渡航した女史のもとに、彼女の訃《ふ》がもたらされたならばどんな感慨にうたれるであろう。
 須磨子の年|老《と》った母親は他人が悔みをいったときに、
「どうせ死神につかれているのですから、今度死ななくなったって、何処かで死んだでしょうから」
と諦《あき》らめよく言切ったそうである。
 彼女の故郷は? そうした母親の懐《ふところ》! 彼女が故郷への初興行は、たしかズウデルマンの「故郷」のマグダであったかと思う。そのおりの名声はすさまじいもので、県の選出代議士某氏は、信州から出た傑物は佐久間象山《さくましょうざん》に松井須磨子だとまで脱線した。けれどその須磨子の幼時は、故郷の山河は人情の冷たいものだという観念を印象させたに過ぎなかったのだ。
 長野県|埴科郡松代在《はにしなごおりまつしろざい》、清野村《きよのむら》が彼女の生れた土地《ところ》で、先祖は信州上田の城主|真田《さなだ》
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