ので、一足さきへついたものは須磨子の帰るのを待つべく余儀なくされていると、彼女はすすりなきながら二階へ上っていったが、忽《たちま》ちたまぎる泣声がきこえたので、みんな駈上《かけあが》った。
 彼女は死骸《しがい》を抱いたり、撫《な》でさすったり、その廻りをうろうろ廻ったりして慟哭《どうこく》しつづけ、
「なぜ死んだのです、なぜ死んだのです。あれほど死ぬときは一緒だといったのに」
と責《せめ》るように言って、A氏の手を振りまわして、
「どうしよう、どうしよう」
と叫び、狂うばかりであった。どうしても、も一度注射をしてくれといってきかないので、医者は会得《えとく》のゆくように説明のかぎりをつくした。
「あんまりです、あんまりです。どうにかなりませんか? どうかしてください。これではあんまり残酷です」
 狂い泣きをつづけた。

       三

 神戸に住む擁護者《パトロン》のある貴婦人に須磨子がおくった手紙に、
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私は何度手紙を書きかけたか知れませんけれど、あたまが変になっていて、しどろもどろの事ばかりしか書けません。一度お目にかかって有《あり》ったけの涙をみんな出さして頂きたいようです。
奥様、役者ほどみじめな者は御座いません。共稼《ともかせ》ぎほどみじめな者はございません。私は泣いてはおられずあとの仕事をつづけて行かなくてはなりません。今の芝居のすみ次第飛んでいって泣かして頂きたいのですけれども、仕事の都合でどうなりますやら……
奥様、私の光りは消えました。ともし火は消えました。私はいま暗黒の中をたどっています。奥様さっして下さいませ。
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「私は臆病なため死遅《しにおく》れてしまいました。でも今の内に死んだら、先生と一緒に埋めてくれましょうね」
 笑いながら、戯言《じょうだん》にまぎらしてこう言ったのを他の者も軽くきいていたが、臆病と言ったのは本当の気臆《きおく》れをさして言ったのではなくって、死にはぐれてはならない臆病だったのだ。適当の手段を得ずに、浅間しく生恥《いきはじ》か死恥《しにはじ》をのこすことについての臆病だったのだ。一番容易に死ぬことが出来て、やりそくないのない縊死《いし》をとげるまで、臆病と自分でもいうほど、死の手段を選んでいたのだ。
 座の人たちが思いあたることは、この春の興行に、「ヘッダガブラア」
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