とにかくよく死んだ。是非はどうとも言えるが、死ぬものは後《あと》の褒貶《ほうへん》なんぞ考える必要はないから」
と言うものもあった。死んだという知らせを電話で聞いて、昂奮《こうふん》して外へは出て見たが何処へいっても腰が座《すわ》らないといって、モゾモゾしている詩人もあった。けれど、みんな理解を持っているので、芳川鎌子の事件の時なぞほど論じられなかった。
「島村さんの立派な人だったってことが世間にもわかるだろう。須磨子にもはっきりと分ったのでしょう」
そんなことが繰返えされた。全く彼女は、島村さんの大きい広い愛の胸に縋《すが》り、抱《だか》かれたくなって追っていったのであろうと、私は私で、涙ぐましいほど彼女の心持ちをいじらしく思っていた。
連中が出ていってしまってからも私はトホンとして火鉢のそばにいた。生《いき》ている悩みを、彼女も思いしったのであろう。種々《さまざま》な、細《こま》かしい煩《うる》ささが彼女を取巻いたのを、正直でむき[#「むき」に傍点]な心はむしゃくしゃとして、共にありし日が恋しくて堪えられなくなったのであろうと思うと、気がさものばかりが知るわびしさと嘆きを思いやり、同情はやがて我心の上にまでかえって来た。
抱月《ほうげつ》氏のおくやみにいったのも、月はかわれど今夜とおなじ時刻だと思いながら、偶然におなじ紋附きの羽織を着て来たことなどを気にして芸術倶楽部の門を這入《はい》った。秋田氏に導かれて奥の住居の二階へといった。抱月氏のおりには芸術座の重立《おもだ》った人はみんな明治座へ行っていたので、座員の一人が、
「松井が帰りましたら申伝えます」
と弔問を受けたが、いるべき人がいないので淋しかった。それがいま、突然の死に弔らわれる人となろうとは夢のようだと思いながら案内された。旧臘《きゅうろう》解散した脚本部の人たちの顔もみんな見えた。誰れもかれも落附かないで、空気が何処となく昂奮していた。
居間の前へくると杉戸がぴったりと閉切《しめき》ってあった。室内では死面《デスマスク》をとっているのであった。次の室にも多くの人がいた。手前の控室のようなところには紅蓮洞《ぐれんどう》氏がしきりに気焔《きえん》をあげていた。杉戸が細目に中から開《あ》けられて、お湯が入用だといったときに、座員の一人は紫色の瀬戸ひきの薬罐《やかん》をさげていった。洗面器が入用だ
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