ならないと思っていた。陶冶《とうや》されないあの駄々《だだ》っ子《こ》は、あの我儘が近代人だといえばそうとも言われようが、気高い姿体と、ロマンチックな風致をよろこぶ女にも、近代人の特色を持った女がないとは言われない。
ひたぶるに突進んでいって、突きあたる壁のあったのをはじめて発見したのだ。彼女が勢力にまかせて押退けたおりには、奥深くへと自然に開けていった壁が――何の手ごたえもない幕のように見えた壁が、巌壁《がんぺき》のように巍然《ぎぜん》と聳《そび》えたっていて、弾《はじ》き飛ばした。彼女ははじめて目覚めて、鉄のように堅く冷たい重い壁を繊手《せんしゅ》をのべて打叩《うちたた》いて見た。そしてその反響は冷然と響きわたり、勝手にしろと吼《ほ》えた。そのおりには、もう彼女の住む広い胸はなかった。底知れなかった愛人の情をしみじみとさとり知ったおり、そこに偉大な人格を偲《しの》ばなければならなかった。
傲慢な舞台、中ごろが一番激しかった。ことに幕切れなどは、傍若無人《ぼうじゃくぶじん》という難をまぬがれないおりもあって、見ていてさえハラハラしたものである。女王に隷属するのは当り前ではないかといった態度が歴然としていた。最後までそれで通して行こうとしたのが、何か気が阻《はば》んだのだ。一本気だけに絶望の底は深かった。
彼女が大層|他人《ひと》当りがよくなったという事を聴いたのもかなり前のことで、抱月氏のお通夜《つや》の晩に、坂本|紅蓮洞《ぐれんどう》の背中を、立ったまま膝《ひざ》で突つくものがある。冬のはじめの、夜中のこととて、紅蓮さんは暖まるものを飲んでいた一杯気嫌で、
「誰だ」
と強くいって振りむいて見ると、須磨子がうつむき加減に見おろしていて、
「どいてくれない?」
その座にかわっていたいのだという。末席の後の方だったので、やっぱり棺の側にいた方がよかろうというと、
「でも、あの女が私の方ばかりじろじろ見ているのだもの」
と島村未亡人の方を指差したということである。我儘ものだが、どこかにしおらしい、自分から避ける心持ちも持っていたのである。
でも彼女は、島村氏の令嬢たちが芸術座へ生計費《せいかつひ》を受取りに来たとき優しくは扱わなかった。門前払い同様にしたといわれ、ずっと前の家では格子戸《こうしど》を閉《た》てきり、水をぶっかけようとしたこともあるという。それは
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