びない、そのくらゐならば、僕が死んであげる――」
その人は歔欷したが、私は吃驚した。
「心中なのですか?」
ときくと、冬子の夫はコツクリした。
「誰と?」
「それが、わからないから、堪らんのです。ニヒリスト詩人なんぞなら、彼一人死ぬがいいのです。だが、×氏なら惜しい、實に、實に惜しい、死なせたくないのだ。」
彼はいふ。冬子とニヒリスト詩人とが、お互に變名して、手紙を託しあつてゐる古本屋へ、ニヒリスト詩人が、きのふの朝か、をととひ、冬子の手紙をとりに來たか、または冬子に手紙を渡したか、それを電話で、こちらから問合せてくれれば、けふ、函館海峽で命を落したのは、冬子と誰とだかがわかるのだと。
これは困つたことだと、私は思つた。どんな氣持で、冬子がそんな手紙の書きかけを、古外套のカクシなどに入れておいたのであらう。そのニヒリスト詩人と彼がいふ詩人も、私は知つてゐる。なるほど、さうした對手を求めるやうな、熱烈な、死と愛の詩は發表してゐるが、しかし、冬子とどんな關係があるのだらう。しかもきのふは、冬子が帝展をゆつくりみてゐた姿を、見て來たものがあつたのだ。
そんなことはおくびにもいへない。彼女の夫は、熱心に電話帳を繰つてゐる。
と、門の潜戸があいて、敷石を蹈んでくるヅツシリした靴の音は、彼女のものだつた。私は、口のうちであつといつて、そこで、物凄い爭鬪が起らなければいいがと、逞しい彼女の腕を、目に見た瞬間、いとも朗らかに、彼女は叫んだ。
「あら、來てゐるの?」
彼は、上衣のポケツトへ兩手を突つぱらして、そして、毛絲のセーターの濡れてゐる、彼の妻を見詰めた。
「厭だわ、なんだつて、來たの」
「なんだつてつて、僕は、何もかも申上げちやつた」
「あらま、呆れた」
彼女が睨んで、笑ふと、かねて彼女からよく聞かされてゐる、英雄であるはずの彼は、從順にはにかんで、連れ立つて、一つ傘で歸つていつた。
[#地から2字上げ](「大阪毎日新聞」昭和九年十二月)
底本:「桃」中央公論社
1939(昭和14)年2月10日発行
初出:「大阪毎日新聞」
1934(昭和9)年12月
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2009年1月17日作成
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