。たまには間違えて引出しをあけると、毒薬や、笑い薬なども出て来て楽しいだろうにといった。そんなことも、こと細かに、下書きをした上で、その日の日記帳に書き止められ、しかも彼女の批判がつけられてあるのが、浜子の仕方だった。
しかし、彼女には、彼女らしいユーモアが計《たく》らまれ、静かに実行にうつされることもあるのだった。言って見ればある時、年長者や、年下の者や、とにかく浜子の箏に心酔する、友達であり門弟である女人《ひと》たちが集められた会食の席で、わたしに、
「おやっちゃん、ニャアといってごらんなさい。」
と、並んでホークをとっている浜子がいった。わたしはなんの遅疑もなく、早速《さっそく》ニャアンと彼女の言葉の下にやった。わたしの眼はお皿からはなれてもいないし、四辺《あたり》の眼なんぞ考えにも入れていなかった。ただ、しかし、可愛らしい小猫の柔《やさ》しみがなかったので、
「まるでドラ猫だ。」
と、呟《つぶ》やきながら、もいちど、せいぜい小猫らしくやって見た。
と、浜子は、下をむいて、クックッと笑いを噛《か》み殺している。それがとても嬉しそうなのだ。で、お皿を下げに来た給仕人《きゅうじにん》の笑い顔を感じて、わたしは卓《テーブル》の人たちを見ると、みんな、呆《あき》れきった眼を丸くしてわたしにそそいでいるのだった。
あッはッははは。とわたしは男のように声を出してしまった。これが計画で御馳走があったのかと、見破ったからだった。浜子は、あたしのニャアンと言うことなど、あたりまえのことで、なんとも思いはしないことは知りきっているのだが、ただ、浜子の友達のなかに、こんなことを、平気でするものがあることを、吃驚《びっくり》するであろうみんなの前で披露して、呆《あき》れかたが見たかったのだ。それが思い通りだったので、楽しかったのに違いない。お景物《けいぶつ》に、わたしが、それがなんなの? といった顔をして、呆れている友達たちの顔を見たことまでが、予期した通りの好結果であったのだ。
「おかしな人で――」
わたしはそんなことを思出しながら、笑うとなおと、穿《は》き好《い》いからといって、太いふとい、まむしのような下駄《げた》の鼻緒《はなお》をこしらえさせて穿《は》いたり、丸髷《まるまげ》のシンをぬいて、向う側がくりぬけて見えるような髷にゆったりするので、この部屋に来て坐ると、わた
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