昔から土一升、金一升の土地でも、額《ね》にはならない高いことをいって、断わっても借りてしまう。とにかく畳一畳へ造作をして、昼間は往来へはみださした台の上へ、うず高く店の商物《しろもの》を積みあげる。この割込みが通れば一ぱしのものだ。いつの間にか、露路上へまで乗り出し、差かけ二階が出来上り、どこへあれだけの人数が寝るのだろうと思うほどの店員が住んで働らき出す――実際古くさい大店《おおみせ》の、よどんだ中に、キビキビとそんなのが仕出すと、小気味がよいが、近隣の空気はどことなく変って、けいはくになってくる――
そこで、あんぽんたんの家庭《うち》にも、少々変革があった。それは弟が生れたからだ。
雛《ひな》の節句の日に、今夜、同胞《きょうだい》が一人ふえるから、蔵座敷に飾ってあるお雛さまを収《しま》えと言いつけられた。その宵、私たち小さくかたまって、おとなしくしていると、八十二になっていた祖母が引裾《ひきすそ》を、サヤサヤと音たてて、チンボだよチンボだよと言いながら父の方へいった。
国会開設前であった。父は一体遅い子持ちなのに、思いがけなく男の子が出来たので、興奮したのか、国会太郎としようかのと、変な名を言い出したりしたが、凡庸であった時に困るであろうから、きわだった名はつけぬものだと、祖母にいさめられていた。
生れた弟は弱い子で、真綿とフランネルと絹にくるまっていた。
男の子を生む――家督取《あととり》を生んだということが、旧式な家庭における主婦の位置を、どんなに高めたか――
親類というものからも、出入《でい》りというものからも、お手柄でございましたという讃詞《さんじ》と、張込んだ祝いものがくる。そこで、母の勢力が増して強くなった。
議事堂が焼けた。議事堂炎上ということは、人の足を空にした。
私《あたし》の家《うち》でも、いくつ弓張りや手丸提燈《てまるちょうちん》に灯《ひ》を入れて出してやったかわからない。議事堂です、議事堂ですと、各自《みんな》が口々に言った。丸の内の火事は、旧幕時代でも、町奉行、火消掛、お目附《めつけ》その他役附老中の出馬、諸大名の固め、町火消、諸家お抱《かかえ》火消と繰出して、持場持場についたものだが、当今、城は宮城であり、何しろ議事堂の失火だからと、父ははなしてくれた。単に建築物が焼け滅びるという言葉意外に、大きな衝動をうけたに違いな
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