壮士が、幕府の倒壊をよそに見、朝臣《ちょうしん》となり、転じて自由党に参加して野人《やじん》となり、代言人となった彼は、自由民権といい、四民平等ということに、どんなにか血を湧《わ》かしたのであろう。それは一人の江戸町人の忰《せがれ》ばかりではない、国をあげて平民はよろこんだのだ。
 ――俺《おれ》たちの時世がくる――
 それが六十二議会で、議会は爛《ただ》れきったものになって民心に嫌厭《けんお》をさえ感じさせるようになろうなどとは思いもかけず、彼は赤黒くなるほど飲んで祝したのだ。

 私は十才《とお》にならない小耳にも、よく父が、
「俺は六十になったら代言人(弁護士となっていたかもしれない)をよす。若いものも、華《はな》やかに隠退させるといっている。」
と口ぐせのように言っていたのを覚えている。淡白で、頑固で、まけずぎらいで、鼻っぱりだけ強い、やや軽率と思われているほど気の早いところのある、粘着性のうすい、申分ないほど、末期的江戸|気質《タイプ》を充分にもった、ものわかりはよいが深い考えのない、自嘲《じちょう》的皮肉に富んだ、気軽で、人情深くユーモアな彼は、なんとしても自分が法律なんぞという畑の人間でないことを、事ごとに思いあたっていたものであろう。だが、生れ土地で、地盤というものを、すこしでももっていたためか、選挙時にはゴタゴタしていた。
 ――日本橋区選出議員は改進党の藤田茂吉《ふじたもきち》氏だったが、その後|楠本正隆《くすもとまさたか》氏が、政友会から出る時、輸入候補だというので、地元への折合を担ぎこまれていた。いわゆる顔役――そんな時に、人を担いで顔をうっている区内の政治好きが、楠本氏に草鞋《わらじ》を穿《は》かせ、袴《はかま》のももだちをとって連れてきた。握飯《にぎりめし》も持っているのだという。旅から来て、新選挙地に草鞋をぬぎ、土着《どちゃく》になるのを意味するのだときいたが、嘘の皮で、その前日にも打合せに来ている。区内になんぞ住みもしなかったが、ともあれ、選挙ブローカーが附いて、その姿で戸別訪問をはじめた。だが、おひとよしの町人は――日本橋区は金で動かないからという策略があたって、握飯をもって、草鞋で歩くとは、清廉《せいれん》な人だと当選させた。楠本氏はえらい人だというのに、こんな芝居めいた所作《しょさ》をするのが、あんぽんたんには、代議政治を委任さ
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