ら教えるという賢人|面《づら》、または博識《ものしり》顔をするからだ。そして、いう事が非凡人のことばかりだからだ。
 ところが、祖母《おばあさん》は面白い凡人なのだ。この祖母、前にも言ったかも知れないが字を知らない。きくところによると無学|文盲《もんもう》とは、落語家《はなしか》などにいわせると馬鹿の代名詞だが、決してそうでないので、ただ、学をまなばず、字に暗しであるので、文盲とは、文字だけに盲目《めくら》であるというのだ。この祖母はまさにそれを証拠だてている。心の眼は甚だ明らかであるのに、文字だけが見えないのだ。気の勝った人だったから、あるいは文字をよく空んじていたら、おそらくあんぽんたんの祖母ではなかったろう。
 だが、この祖母、一|市井人《しせいじん》として、八十八の老婆で死んだのだが、手習師匠へもってゆく、お彼岸の牡丹餅《ぼたもち》をお墓場《はか》へ埋めてしまったのから運命が定まったのだといえば、人間の一生なんて実に変なものだ。とはいえ環境が人をつくるというが、祖母自身も、好学心がなかったのだともいえる。しかし、徳川文明の爛熟《らんじゅく》の結果、でかたん[#「でかたん」に傍点]になった文化の昔、伊勢のお百姓の娘にそれをのぞむのは無理であろう。
 ――大庄家の娘小りんの、美目《みめ》のすぐれていたことも、領主藤堂家に腰元づとめをしていた花の十八、疱痘《ほうそう》になって、許婚《いいなずけ》の男に断わられようとしたのを、自分の方から先手をうって断わったのは幾章か前に書いた。江戸の兄をたよって江戸で暮し、東京で死んだ六十九年、彼女は三十三に私の父を抱いて、通し駕籠《かご》で故郷を訪れたきり二度とゆかない。
 子供を理解しない親――それはこの現代にもざらにありすぎる。男性的《おとこの》気象をもったものにも赤い襟をかけ、島田|髷《まげ》に結わせ、箱入りの人形のように玩器物《おもちゃ》として造りあげようとする一方、白粉《おしろい》をつけて、しなしなしたがるような女性的稟質男子《おんなのようなおとこのこ》を、鉄砲をかつがせたり調練をさせたりして、此子《これ》はなんでも陸軍大将にすると力んでいるのもある。
 小りんさんは男性的だった。手習いがいやなのではなく、寺院《おてら》の夫人《だいこく》さんが、針ばかりもたせようとするのが嫌だったのだ。もっとも、近松《ちかまつ》や西鶴
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