)の子で、十三、四に、お前浜《まえはま》一帯、お旗本、士族といわず、漁師までびっくりさせた勇敢な汐汲《しおく》み少女(前出)のおたきさんである。むちゃくちゃな勇気と働きは、愛されもしたであろうが、辛棒は、祖母の方が多くしたかもしれない。
 祖母のお友達は変っていた。御隠居さんにちょいとお願いがと、やってくるものは、家へくる客とは違って、木綿ものを着て、大層遠慮がちに訪ずれた。だが、
「まあよくお出《いで》だ。」
と祖母が元気よく玄関に現われると、彼女たちは雄弁になって奥へ通る。
 あんぽんたんは夜泣きをして、父母の室《へや》から襖《ふすま》の外へ投《ほう》りだされて、寒い室に丸くなって泣寝入りして、祖母に抱いていかれた夜から、ちゃんと心得てしまって、泣いて室外へ投りだされると、蔵の網戸のとこまで、そっと這《は》ってゆくことを覚えた。すこし大きくなってから、夜半《よなか》に祖母におこされて、お灸《きゅう》を毎夜すえてあげる役目をもった。高齢の人には、心のおけないお伽《とぎ》坊主ですこしは慰めにもなったのであろう、何処《どこ》へゆくにもお供《とも》をさせられるのだった。
 夕御飯《ゆうごはん》がすむと、お気に入りの松さんの車で、ソロソロと、牢屋《ろうや》の原の弘法大師《こうぼうさま》へ祖母は参詣にゆく。ある時は毎晩のように出かける。あんぽんたんと女中とは、ブラ提灯《ちょうちん》をさげて車のわきを歩いてゆく。送りこむと松さんと女中は帰っていった。
 大安楽寺《こうぼうさま》の門前までゆくと、文字焼《もんじやき》やのおばさんと、ほおずきやの媼《おば》さんが声をかける。下足のお爺さんは、待っていたように援《たす》けおろしてくれる。本堂にはお説経の壇が出来て、赤地錦《あかじにしき》のきれが燦爛《さんらん》としている。広い場処に、定連《じょうれん》の人たちがちらほらいて、低い声で読経《どきょう》していた。
 祖母は広い廊下を通って、おさい銭|函《ばこ》の横の一角の、参詣人が「お蝋燭《ろうそく》」と階下から怒鳴ると、おーと返事をする坊さんたちの溜《たま》りの方へいった。そこには大きな角火鉢や、大きな鑵子《かんす》があって世話人や、顔の売れた信者の、団欒《だんらん》する場処《ところ》だった。
 時々|高野山《ほんざん》から説教師が派出されてきた。その坊さんが若くて、学僧らしい顔付きを
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