んざし》で頭を掻《か》きながら、ええといった。あんぽんたんのことは話しずみの友達だったのだろう。
「やっちゃん、てったのねえ。」
 その女は綺麗《きれい》な、ちりめんの小枕《こまくら》に絹糸の房の垂れている、きじ塗りの船底枕《ふなぞこまくら》をわきによせながら、花莚《はなござ》の上へ座ったままでいった。そばには大きな猫がいた。
 あたしは猫が大きらいだ。おまけに化けそうな大猫で、ふとい尻《し》っぽの長いのだから、なおいやだった。それにもかかわらず、初対面のこの女《ひと》の魅力と、ここの、せまい家《うち》の、八幡《やわた》の藪《やぶ》しらずのような面白さに、おきんちゃんについて毎日通うようになってしまった。
 おしょさん、とおきんちゃんは叔母さんのことを呼ぶ。その時分、好事家《こうずか》の間から、漸《ようや》く一般的に流行しかけて来た、東流《あずまりゅう》二絃琴《にげんきん》のお師匠さんだったからだ。
 ここで、すこしばかり知ったかぶりをいうと――これは九歳のあんぽんたんではなく、その後《のち》十年もの間にぼんやりと知ったものだが――東流二絃琴は明治十七年ごろ世に流行しはじめた。家元の藤舎芦船《とうしゃろせん》といった加藤某は、世をすねて、風流文雅に反《そ》れた士である。高弟藤舎|芦雪《ろせつ》、またなみなみの材ではなかった。この後継者が早折《そうせつ》しなかったら、東流二絃琴はもっとひろまったであろうと惜まれていた。
 芦船、芦雪は、歌曲ともに創作する力をもち、九十五曲を作りひろめた。この二絃琴の特長は粋上品《いきひとがら》なのである。荻江節《おぎえぶし》も一中《いっちゅう》も河東《かとう》も、詩吟も、琴うたも、投節《なげぶし》も、あらゆるものの、よき節を巧みにとり入れて、しかも楽器相当に短章につくったところに妙味があった。それゆえ初心者には解せぬ、いうにいえぬうまみを出すことに苦心があったわけである。で、あれもこれもと知りつくした、一流の手練《てだれ》の人たちがならいはじめてひろめた。重《おも》に中年者以上の、生活に余裕のある、ものの音《ね》じめをあげつろう輩《やから》であった。
 よい衆の旦那、御内儀、権妻《ごんさい》――いき好みの、琴はどうも野暮くさいといった人が、これはいいと集まった。明治に生れた楽器である。八雲琴が素《もと》で、竹琴《ちっきん》、一絃琴など
前へ 次へ
全9ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング