えて綾瀬の方まで涼風におしおくられてゆく。そして夕暗といっしょに両方がまた漕《こ》ぎよせてくる。両国橋の上下に――
 そのころ、五、六歳のアンポンタンの感想は――というとむずかしいが、おしっこのことだった。小船にはそういう設備がない。男の人は簡単にすませるが、といっても、まだ暮れきらない大川に、一ぱい船があってはそう勇敢な人ばかりはない。まして謹《つつ》ましいその時代の女たちの困りようは察しられる。岸近い船はわたりをかけて、尾上河岸《おのえがし》あたりのいきな家にたのむが、河心《かわなか》のはそうはいかない。気のきいた船頭が、幕や苫《とま》で囲いをして用をたさせると、まるで、源平両陣から那須与一《なすのよいち》の扇《おうぎ》の的《まと》でも見るように、は入る人が代るたびごとにヤアヤアと囃《はや》す。人間て、なんて癪《しゃく》なものだと、いって見ればそんな風にアンポンタンは片腹痛かった。
「おや? この子は笑ったよ、何がおかしかったのだ。」
 おじさんたちにはわからない。ちいさな、てんしんらんまんたる幼子だからこそ、赤ン坊でいえば虫が笑わせるといった笑い――この場合では嘲笑《ちょうしょう》を禁じ得なかったのだ。
「ヤア爺《じい》さん!」
とかなんとか、笑った男が笑われて幕の囲いにはいり、テレくさそうに出てくるのだ。ばかな奴《やつ》ら! その水で盃《さかずき》をそそぎ、その流れで手拭《てぬぐい》をしぼって頭や胸を拭く、三尺へだたれば清《きよ》しなんて、いい気なものだ。
「玉や――」
 みんなが口をあいて空を仰ぎ見る。だがなんと、暗い河の水の油のように重くぎらぎらすることぞ! 水面《みず》を見ると怖い。
 アンポンタンは父親の膝《ひざ》を枕《まくら》にしてボンヤリしていた。もう、そろそろ船が動きだした。あたしは大きくなってからもそうだが、賑やかなあとのさびしさがたまらなくきらいだった。ことに川開きは、空の火も家々の燈も、船の灯も、バタバタと消えて、即《たちま》ちにして如法暗夜《にょほうあんや》の沈黙がくるからたまらなく嫌だ。遠くの方へ流れてゆく小さなさびしい火影《ほかげ》と三味線の音――小さい者は泣くにもなけない不思議なわびしさに閉じこめられてしまう。
 そのまだ、それほど船がバラバラにならない前、すっと摺《す》れちがった屋根船から、
「あら――さんだ!」
というと、これ
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